いま一度、天意(あい)とは。

7596429558_1352eb8e33_b天意(あい)をいま一度、整理させて頂きます。

天意を甘美なるもの、ベタベタしたパラサイト的な共依存なるもの、または、愛欲、肉欲的なもの、マニュアル通り、イベント的な恋愛ドラマのように、相手にマーキングをするような互いにエネルギーコードを刺し合う形を「天意=愛」と思っていらっしゃる方が、まだ、おられます。

それらを人は愛だと教えられ惑わされてきたのですが、本来、天の意思=天意のことを「あい」と言ったのです。

以前のコラムでも申し上げましたが、天意は人に与えたり、与えられるものではありません。

それらベタベタした、仲良しごっこ的、愛欲、肉欲的なものが欲しい愛だとすれば、それは「欲情」の情を欲しているのです。

カウンセリングでも「愛情」を欲しがって駄々っ子のように他人を動かそうと(コントロール)ばかりする方が時折おられます。

子供には愛情が必要な時期がありますが、大人になって他人から情を貪りたいのは自らの天意(あい)を見出せないためであり、いささか理性を欠く側面があるのかもしれません。(※人は多面的ですから)

ご本人は全く気付いていないのですが、こういったケースのほとんどは、ほぼ幼少期に掛けられるべき親からの十分な愛情が注がれておらず、情を交わせば安心できると思い込んでいるので、相手を変えて繰り返し代償行為で満足を得ようとします。

求めれば求めるほど人間関係を拗らせることになり、結果的に、いつまでも奥底の孤独を満たすことが出来ないわけです。

20090515113425-65944天意(あい)のエネルギー循環は呼吸のようなもので、吐き出したものが、そのまま入ってくるもの、吸いとるだけのものではなく、吐き出すときにも何を吐き出すのかも大事ですし、それが怖いからとて止めたままではエネルギーは滞るものです。

人は本質的に宇宙や自然から注がれる穏やかな天意(あい)よりも、人肌のぬくもりや、人から構ってもらう刺激や反応的なおねだりに適う情を愛と思いがちですが、私達も意思を持つエネルギー体、自然のエネルギーと何ら変わらず、その循環は出すのが先、受け取りは後です。

止まった状態を分かりやすく人の状態でお話しすると、良い印象を与えようとと頑張れば、いずれ無理がたたりストレスを溜めイライラが募ります、そうなるともはや、いつものように振る舞うことが出来なくなってしまうものです。

良い印象を残そうと心がけている方は人当たり良くしていれば「好かれる」という直線的な思考を握りしめ、いつでもどこでも「そうあらねばならない」という制限を、大人の常識、大人の嗜み、大人のマナーぐらいに考えています。

ですから、自分なりの良い人マニュアルを守り、極度に世間様の前で恥をかくことを嫌います。

品行方正なプライドが更に邪魔をして、「大丈夫です」「迷惑はおかけしないように頑張ります」「難しいことは分かりませんが」などと、相手に判断を委ねるそつのない返事で、世渡りを小賢しくやってのけるのです。

本来「大丈夫」「頑張る」「分からない」などの常套句は裏を返すと、ていの良い「拒否」という余韻を相手に残すもの、相手は余計なお世話にならないように手を差し伸べることを控えるようになるものです。

「大丈夫」がトレードマークになると、情けを受け取るのも下手になり、泣きつくことも、素直になるのも難しいほどの感情麻痺に蝕まれます。

「どうして、私だけ報われないの?」と、その頑張りとは裏腹に、内側では欲求不満を肥大させ、ボス人格の前では大人しく、そして、感情パニック、天然ちゃん、マイペースな人を厳しく攻撃したくなるのが、優等生タイプの裏の意識です。

けれど、これも完全な人工的プログラミングにハマった状態で、本来の自分ではありません、決して自己卑下に繋ぎませんように。(※このことは、3月から始まる、ZERO・スピリチャルセミナーで詳しくお伝え致します。)

印象の良い方の裏の側面は、「辛辣さ」も兼ね備えている、それが人間なのです。闇があることは恥ずかしいことでも醜いことでもありません、人には感性があり、聖なる二元性のもとに生き、醜さや闇が天意や光と変わらなず、なんら不純なものでもなく陰陽一体に過ぎないのです。

天意(あい)のもとに、自分を満たし愛するということは、精神的な自立が整うことでもあります。(※経済的自立とは異なります)

自分をセルフケアして、「自己理解」の気持ちを持つ私(個)と率直に向き合う経験をひたすら積むことで、本来の天意(あい)の深さと広がりを徐々に知ることになるのです。

それは一足飛にはできませんが、そうして理解していかない限り、他者やパートナーと深く愛し合うことは出来ません。

他人への依存や期待があるうちは、相手の言動や行動によって自分の価値や幸せがブレてきます。

一方で自己天意(あい)で自らを満たしてきたものは、いかなる場合もその場を楽しみ、悪気なく感情表現を躊躇なく自然に出し入れできるのです。(※悪意は受け手の先入観によっても造られるものです)

個(自分)のことばかり主張するエゴ丸出しでは、ハートは固く閉じられ、全体調和である天意(あい)を知ることも、天意とつながることもできないままです。

今一度、天意がどんなものか知りたいですか?
これを読んで、率直に自分と向き合っている意識があなたの中に芽生えていたら、それこそが「天意=愛」です。そして、その瞬間、あなたがあなたの閉めていたハートの扉を開け放っている時なのです。

 

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