現金というタブーお金というエネルギー

このところ、クンダリーニ昇華が幾度となくあり女性性と男性性の統合を楽しんで体感させて頂いております。

というので、あまりコラムに取り掛かれず、間が空いてしまい全くもってすいません<(_ _)>

最近、気になることといえば、、、

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株価・・・「日経平均大幅下落」

金融崩壊は待ったなしです。 私達は金持ち・貧乏には敏感ですが、金融危機に関しては危機感を感じていませんし、また、今日のおかずは心配しても、お財布の中身以外のお金の話は「知らない」と意外に皆さん無関心ではないでしょうか。

経済の動きに興味がないのは特に女性ですが、家の家計を担うお財布を握っているのは女性が断然多く、このアンバランスさもなんだか不可解なものに見えますが、そんなことは脇に置いておき、経済について素人の私でも最近の株価、やっぱりマズイでしょ。ぐらいは分かります。

株価を必ずニュースで最後に流す必要があるのは、実際には「お金」がこの世界共通言語で重要な役割を占めるからです。

なのに私達はお金の流れについて知りません、それは「知らないでいて欲しいから」であり、寝た子(私達)を起こさないでもらいたいからです。

マネーゲームをなさっていらっしゃる方々にとっては・・・

未だに中央銀行は民間運営だと知らない方もおいでですが、ようやく、池上なんちゃらさんが分かりやくお話しするTV番組で認知が広まったり・・・ (TV情報ってすんなり人に入り込むのでスゴイなと思ったりしますが)

お金の話、意外にスピリチャルライフを送っていらっしゃる方々にも苦手な方がいらっしゃいますし、更には「お金ではない!」と「お金」に嫌悪感を示される方も結構いらっしゃる様です。


今日はこの流れで(苦笑) 「お金」についてスピリチャル的な視点のお話を・・・

・・・。内面だけに集中し、意識のあり方だけを重視した生活をすると、お金もただの紙切れ、お金が多ければいいってもんじゃない。と思われる方もいらっしゃいます。

そう耳にすると、地に足をつけることの大切さと、スピリチャルの盲点を感じたりするのです。

学校内関係、社内関係、PTA関係、親子関係、恋人関係、夫婦関係などの人付き合いや、セックス、スポーツ、スクリーン、旅行、グルメ、等々、自分のテンションを下げないように、自己バランスを取りながら、マインドを癒してしっかりした生活。

でも、これ、お金あってのバランスだったりしませんか?(という当たり前を念頭において下さい)

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その世界共通言語の「お金」の崩壊が近々あれば、私達のその生活が「砂上の城」であることは言うまでもありません

お金に変わる社会システムが再構築される時には、恐らく、金融システムよりも国という枠組みがどうにかなってしまう様子があり、生活自体が大きく様変わりすることになると感じます。

(その為のTPPであったり、甘利さんをコケさせる為のワナがあったり、陰謀渦巻く世界なワケです。)


そうしたうえで、お聞きしますが 皆さんは「お金」好きでしょうか? そして「お金の使い方」を知っていると思いますか?

お金で苦労している方はお金を魔物・不浄なもの・怖いものと扱う方が多いなと感じるのですが、かくいう私も、昔はストッキング1枚買うのをためらった時期があります。

けれど、そういう経験をすると、お金が借りられることにも幸せを感じますし、借金がある。ではなく、借金できる私に楽しさと可能性すら感じます。

この当たり前をネガティブに捉えていらっしゃる方が多いと思うのです。(これもお金=汚いと教えられて来た根強いコントロールなのだと思うのですが)

91k0Yb7Sw5L-1朝の連ドラ「あさが来た」でも、銀行は信用貸し(Time is moneyになってからは様子が違ってきた感じではありますが)。

信用とは「確かなものと信じて受け入れること」とあります。

借りる時に「確か」な何かがなければ用立てることは出来ないということになり、紙切れ同然のお金には自分の「確かな何か(原動力)」という意を乗せて使うのが、お金の使い道ということになりますね。

しかし現代、確かな何かを目標にしたお金にの使い道ではなく、他力本願なギャンブル的お金の使い方が世間のお金の使い方になっている様な気がするのです。

信用されるということは、ベースになる自信+今後の伸び代=期待値・可能性への信頼度かもしれませんが、そうでなければ決意なく迷うお金を引き出すものではない。

ほとんどの方はそういったお金の使い道を子供の頃に誰からも教えてもらった記憶がないと思うのです。(知らないから、浪費してみたいわけですが)

知らないうちに親に預けていたお金が使われていて「え~どうして?」なんてこともあったと思いますし、「もったいないから貯金しましょう」といって、本人の「あれが欲しい」という気持ちに親が介入して「貯金しているからダメ」と大人の思考を押し付けたりするものですから、子供はますます「お金の使い方」を知らずに育ったりします。

お金を稼ぐようになり、お金がどういう働き=総体的なエネルギーとして、どう力を発揮するのか分からずにいると、人生の時間配分と食べるだけの使い道だけで留まり、お金様に飼い慣らされ苦労しているような気になるのは当たり前のような気がいたしますし

消費の「かっこうのエサ」になって授業料を払い続け、仕方ないと見切りをつけたお金は裏経済を回していたりするのです。


では、浪費社会に飲み込まれないように、お金に固定観念を持つとどうなるか?固い観念がエネルギーの淀みを生み循環しなくなる場合があります。

精神世界や神様や天使や宇宙がまとまり切れていないスピリチャルで、お金を得ることが「胡散臭い」もしくは「厭らしい」という方も時折見受けられ、決まって「5円のお賽銭でも神様は文句を言わないぞ。」という声があります

lgf01a201501201500「神様は懐が深い。」そうでしょう、でも5円で願いを聞いてくれるかどうかは別。

スピリチャルも神様も目に見えないものだけに、そこに流れるのはその人の「~になりますように」という望むものの思念だけです。

何かに嫌悪感を持ち、これは良い、これは悪いと分けているのはどなた?なのか。。。そして、形無き希望が崇高で、形有るものを忌み嫌っているのは誰?なのか・・・

それは「人」です。

価値観を天秤にかけているのは、他ならないボンヤリとした意識で「~そうなればいいな」と白黒、良い悪い、丁か半かで「なんとなくこっち」とベットしてみるギャンブル的なお金の使い方が大多数を占める現代、使い道に確信や自分に自信がない方ほど、感情のブレ、人とのブレ、社会とのブレ、感覚のブレで、お金を浪費します。

それは、他人との平均を計って消費する以外、これという消費基準が見つからないのだと感じます、これが社会常識基準となり、流行が生まれ、仕掛け人が時代の寵児となる、まさしく人のエネルギーで社会は動いているのです。

自分がお金の苦労を経験しなくても他の人を観ていれば同じだから、安心だから、違わないからというところでしょうが、自分らしさを求めていながら、他人と似たり寄ったり大して違わなかったり。

人と違っている優越感に浸っているだけで心の裏では、はみ出すか、はみ出さないか程度問題だと捉えながら、常識を担保に普通が安心という矛盾が見え隠れします。

人によっては、それらが疑問に早く変わる場合もあれば、普通に流す方もいらっしゃいます

その人に疑問が湧けば、生きる問いになり、生きる方向を変え、生きる力になり、お金のあり方で人生を見直したり、浪費について考えるようになる。

意識的にお金をタブーになさっている方が多いかもしれませんが、世界共通言語のお金で老いも若きも一生の付き合いとして頭を使うのは、一番簡単に自分のエネルギーをブラッシュアップできる分かりやすいツールだと、そのシステムを理解なされていないからの様に思うのです。

napierの肝はその自由を尊重すること。 良い悪いは二の次にあります。

ここまでのお話し、形になっていないお話しに思えるかもしれませんが、テーマの「お金」も、信頼も心も行動も、すべて人の持つ「エネルギー」のお話しです。


エネルギーを回す。 心配や、できない、しない理由はエネルギーを堰き止めるので二の次です。

目先ではなく、広い目で、長いスパンで物事をみる習慣をつけ、したいという直感をとりあえず信じてみて下さい、お金は回ってきます。

「良いも悪いもない」 というnapierの自由意志は社会のルールでは到底割り切れないことでお悩みの方がが多いところから来ています、目先の結果に翻弄されては、勇気も湧かなければ、チャレンジも出来なくなります、なにせ人は初めてのことを楽しむ前に、怖がる(=武者震い)する生き物の様ですから。

ベースを学び、アイディアなり、疑問なりを考え、実践経験することで、更に出る感情のアンバランスは、誰のものでもない自分の世界で起きている問題=カルマです。

img_2 (1)それは自己解決するより他なく、そのサインに気づいたら、マインド=感情・心・精神のアンバランスを自己調整してバランスを整えていく作業が必要となります。

需要と供給のバランスを0円にするにも10000円にするのも、関わるのはその間に介在する、個人のマインド=感情・心・精神だけですから、お金も物も、そのやり取り自体が、その人そのもののエネルギーのあり方です。

ですから、そのエネルギーに対して、その人の持つマインドが引き寄せられ消費活動が起こる。

物事にはバランスの良い解釈というか、偏りのない通訳が出来ればいいのですが、感情論ですり替え、上手な解釈をする方をあまりお見かけしたことがありません。

この世にあるエネルギーは物理化できる三次元ですから、お金を有り難いと思ったり、勿体無いと思ったりするエネルギーも、人の習慣から生み出したエネルギーです。

物々交換が理想で、お金のやり取りが嫌い、というのも「お金」に対する極端なマインドの表れであり、お金をエネルギーという視点でみてみれば、物々交換と対価にお金で支払うこと、なんら違いなどないと見えてくると思いますし

本来は「何のために」という目的を原動力とした、お金の在り方・使い道に、世間基準の価値、安かろう高かろうで判断するのは、それこそ、目的意識ではなく、マインドを目利きにして値踏みしていることだと疑ってみてはどうでしょう。

権力がエネルギーの流れを誘導しているとしても、創造のエネルギーがお金に変わることになるワケです

その想像の対価は創造主に流れるようにして還るのは道理のような気がいたします。
その創造主は他でもない私達一人ひとりです

創造エネルギーが、たまたまお金で還ってきたなら、その人の自由で世に出せばいいだけであり、ケチって空気に触れさせなければエネルギーは腐るのも早いという性質を持っているだけ、生かすも殺すもそれを持つ人のエネルギー次第です。


「天国と地獄」や「天使のスプーン」という似たようなお話しがあります。

好きなだけ手に入れようとしても、長いスプーンでは上手く口にも運べず、自分のものを相手のために使えば、全て万事上手く行くという例え話ですが

この話に付け加える事があるなら、食べさせてもらった方の一人が多くお金を持っていたなら、そのお金をスプーンを口に運んでくれた方に対価として渡す。

そして、対価を受け取った方が、また別の方に、そしてまた別の方に・・・と連鎖していく

お金を嫌ったり、ため込んでいては、次の方には渡りません。

それは「貰う事へのためらい」や「出すことのためらい」というマインドがブロックになっている、無いから払えないというのではなく、無ければアイディアを絞り、絞ったアイディアがお金に変わる人は錬金術師であることに気づく必要もあるかもしれません。

受容と供給のバランスに「0円で結構です。」と均衡を破るのも太っ腹とかサービスが良いという方もおいででしょう、けれど、それを美談にすれば、貧しい人が正統な対価を貰いづらくなる場合も多分にあることにも目を配りませんか?

太っ腹、セール、お得は、常には出来ない。このサービスを味わいたい気持ちは、消費することに「疲れている」と言っている偏った思考に気づきましょう。

自分の声に素直になることと、マインドに使われることは全く違うのです。


lgf01a201501150900人にはそれぞれバックボーンがあるものです。それを見極めずして、マインドに使われるお金の使い方をするな!とは簡単に言い難いものです。

しかし、普段の生活に潜む善かれの 裏の「否定」 に気づいて下さい。

こうやった方がいいよね?という、良いの裏は、今のあなた、私ではダメだよね?と否定していることになります。

また、どうでもいいんじゃない。という自由意志を尊重する「温かさ」という勇気を持ってみてはいかがでしょう?

冷たい言葉のように聞こえますが、他人に答えを求めるときほど、経験したくない=怠けた態度であり、他人に自分を委ねてしまって後悔すること繋がるかもしれないことに気づいてみてください。

そして、この世は、額面通りにはいかないのが 強くなるための人生の「優しさ」だったりすることにも目を向けてみてください。

たとえ金融崩壊があったとしても、私達一人ひとりの創造のエネルギーがなくなることはないのですから、善し悪しの固定観念でアイディアの源を塞ぐことのないようにと思うのです。

皆さんはお金に関して、どんなセンスをお持ちですか?

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