あなたじゃなくエゴが不愉快なだけ

lgf01a201403311100目の前に広がる空間に色がついていたら、紫外線も放射能もすべて見えていたら、おそらく人は怖いと思うでしょう。

特に街では人の想念で淀んでいる場所もありますし、苦しい、辛い、悲しい想念、スピリチャル的ないかにもザ・スピリチャルっぽい本物まがいの情報もいっぱい流れており、私もそういう情報に常に引っ張られ、時に人の感情に乗っ取られたりします。(本当にそれは簡単に乗っ取られます)

ザ・スピリチャルというのは「エゴの満足になるような高次のフリ」をしたものの事です。

「哀れな人だから面倒をみてあげなければ」それが人だ、それが慈悲だ、それが慈愛だ、心貧しいものに愛を。というものは、すべて、全部、漏れなく偏った見方から生まれた=エゴ(我)であり、経典の刷り込みであり、戒律の戒めであり、「可哀そう」などという感情ひとつ取ってさえも、無垢なあなたから湧いてきたモノではありません。

生まれたてのあなたは一切の解釈を持っていませんでした。

ですから、その解釈に何の意味があるのでしょう?という問いが「解脱」のスタートラインになります。

すべては、ただ在るだけです。

中立的バランスを保つことは難しいし、人によっては恐怖を感じるかもしれません。 私もちょっと油断をすると、もたれ掛れる絶対の思考=「人工の柱」を探したくなりますし、解脱の意識・自立の意識を弱気になって塞ぎたくなります。

しかし、絶対の思考は「世間の目」に自分を添わせたものであり、それが「欲しい」からと握り締めていると、次、次、次、次、次と、どんどん欲求が増えて行きます。(買い物依存だったり、人依存の元凶は、この「不安症」に基づくものになります)

ですから、握り締めて離そうとしない人間意識に気づき続けて、人間意識の解脱(※全ての束縛から離れる)を妨げるルールを外し続けて、「足りない」を「在る」という思考パターンにトレーニングしていくしかありません。
なんせ、私達はそうやってこれまで真逆の事を信じ、何一つ自分の発想ではなく、人工常識の「ガイドライン」を寄すがに生きてきたのですから。

それは「愛-LOVE」や「社交性」の概念ですらそうです。

5705278987_68e3527b94_b真面目な方ほど、正しい方向へ行っているだろうか? 今の自分はどうだろうか? このままでいいのだろうか? と考えてしまいますが、それも『そうした方が好かれる』『こう愛すべき』と教えられてきたからであり、それすらもイメージでパターンです。

パターンは習慣化され「あいさつ」「相槌」「態度」になり、「社交性がある」などと大人として評価されると、世間に認められ必要とされる「セールスポイント」になる個性を強め続け、計算高く「いい顔」を振り撒いたりするようになるものです。

そうしてしまう根底には、人から知らん顏をされる、嫌われている、大事にされていない、自分は重要じゃない、自分は価値がない、という不安によるプレッシャーがあるようです。

『ただ在るだけ』それは今の私達には乖離(かいり)した荒唐無稽なことのように思われるでしょう。

しかし、個性的なアピールは、時に無理をしているようにも見えてしまうもの、自然の理(コトワリ)が無いことを「無理」と言い、人工的な理は、周りを疲れさせるものです。

ですから、物事はシンプル。肯定も否定も要らないのです。

10330273_807148042629739_6713813233738317718_n1ただ、そう在るだけ。

「そう在るだけ」に落着きをなくすのはナゼでしょう? それは、それぞれが個性を強める為にわざわざ色分けした差別意識=エゴが騒ぐからです。

何度も云いますが、そのゴチャゴチャ言いたくなる気持ちは、個性・コダワリという差別化からくるトリックです。
努力も特別も元を正せば「エゴ」です「思考」です、自分の思考でハンドルを握って上手く走っている気になっているだけ。

現代の人間の脳活動範囲で考えたことなど、凡人はたった5%、天才アインシュタインでさえ7~8%です。その思考を小賢しく使って上手く行くことなど、たかが知れているのです。

同じ脳でも使われていないと思わせられているジャンク・ブレーンは95%もあり、私達の中に眠るその潜在能力は、全く要を為さない脳だと一部権力者に思わせられています。

理想的な清く、正しく、美しく、礼儀だとか、義理だとか、誠実だとか、そういうことに極端なコダワリに偏る傾向に縛られていると、あなたの潜在意識は縛りからバランスを取りたくなり、揺れ幅の大きい出来事を起こして「どうして私ばかり?」という被害者意識を生み出し気づかせるように仕向けます、感情(エゴ)を出させてあなたの思考を揺さぶるのです。

それは『ZEROだけがなせる業。』
愛をもって中庸(バランス)を戻すよう揺さぶりをかけてくれているのです。

ですから安心して下さい。なにをやってもバランスを取ってくれる愛があるのですから。
そういうコダワリを手放すことで分かる瞬間、あなたの中で何かが弾けます。それは、あなたが「既に知っていること」をあなたの魂が“パチン”と自覚した瞬間です。

そういう繰り返しは日々あるものの、あまりにも「普通」なので奇跡には感じられません、外の刺激が私達を摩耗させてしまっているので、ものすごく私達は「普通」が素晴らしくないもの。と思わせられているますが、この「普通」が最高の状態です。

もし、このお話しで何かしらの反発心が起こった方は、ある意味、奇跡を信じ、素晴らしさと崇高なものを求め、自身さえも、清く・正しく・美しくさえ生きていたら、一生に一度は素敵な奇跡が起こるだろうと硬く信じていらっしゃるからかもしれません。

それすら、そう信じているのは、あなたの人間意識で、あなたではありません。
それは、あなたのエゴが嬉々と喜ぶから、あなたのエゴが特別という快楽を求めているから、それはあなたの話ではなく、あなたの思考が踊らされている話だということに”パチン”と気づいてもらえたらと思います。

 

 

 

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