ヘーンシン♪ ②

ヘーンシン♪ ① のつづきです。

さて、自分を登場人物に置き換えて、感覚と思考=あなたの心を感じてみましたか?

ブログをご覧の方から反応を頂きました。

林檎の件、私も感じてみました。
こっちは良かれと思ってやったのに
ハジキを送ると言われたらガッカリします。
美味しい林檎とハジキの梨に
私への価値、評価がハジキでしかないのか。と
思ってしまいます。
なぜ両親へ感謝をいうのかは?ですが
メールではなく電話で伝えるのが礼儀と思ってしまいます。
(うちでは貰ったらまず電話という感じだからかもしれませんが)
やった甲斐が無い。と思ってしまいます。

率直な感想を頂きました、Aさん、ありがとうございます^^
他にも同じような感想を頂きましたが、そう感じる方が多いようでした。

そうなんです、思考は嫌なことをネガティブに受け止めて勝手にしゃべり出します。

私の思考も、同じように湧いてきました^^;

でも、そう考えた方はココで ちょっとストップ!

その常識は何を元にした考えなのか、自分の考えを疑ってみて下さい。
その常識は何を中芯に私と友達を天秤にしているか考えてみて下さい。

※なんとなくでも中芯のニュアンスが感じられたら、OKです。
※また、文句も味わいたい感情なので、湧いてきたら湧いてきたままにした方がいいです。

頭で正義の剣を先に抜いておきながら、弱い振りして被害者ぶっているのは誰でしょう?
勝手にスネて、勝手にジャッジしているのは誰でしょう?

さぁ誰でしょう?

それは、ジ・ブ・ン。で~す^^;

では、説明します。

湧いてくるモヤモヤをジッと内観します

「事実=メールの文章」と「感情=心が描いたエピソード」を分別します。

『秋田のリンゴを送って欲しい』と言われて、美味しいリンゴを届けたい。

でも、感覚と考え=思考を言葉にしていくと

頼む=積極的「食べてみたい。」
承諾=受け身「送らなければ。」

他人の積極性と私の受け身に、そもそも温度差があった。
ご当地自慢したリンゴを「美味しくない」と言われないように
責任で受け止めてしまったのではテンションも上がりません。

承諾したからには、ちゃんと考えなきゃ=いい人カルマ←^^

「~のために」=「~すべき」で行動してしまっていたため、
いつの間にか義務的な「~しなければ」を天秤に掛けてしまっていたワケです。

いいものを送らなければ→私にはハジキ?
相手を喜ばせなければ→自己満足が先?
礼儀を重んじなければ→親しくても礼儀は?
私がしなければ→なぜ両親が絡むの?

モヤモヤが他者否定の思いになって膨らんで強まって行き
ハッキリしない理由に答えを探そうと思考がフル稼働します。

「私の常識は普通で、誰でも普通こう考えるでしょ?」

と、普通と希少な考えを天秤にかけ希少な軽さが価値のなさに思えて心が暴走します。

で、心が暴走し出したら、またここでストップ!

これ過去の刷り込みぢゃない?と疑って欲しいのです。

私のこの場合は、昔、母に言われて染みついた母という他人の価値観なのです。

例えば、みんな品定めをしますよね、で、もらい物にお返しする時

このくらいの物には、このくらいの物を返せば公平よね。
文句ないわよね。
前にアレやったから今回はコレで良いわよね。
もらったけれど、アレさほど美味しくなかったわよね。。。

そういう人
あなたの周りにいませんか?
よく聞きませんか?
あなたに覚えはありませんか?

私の場合は、親の経験値による躾けとお金の観念と偏見が
複雑に絡んだ損得思考が引き金になっているのに気づきました。

こういう他愛もない会話が子供の無意識にコピー&ペーストされてしまうのです。

誰でももつ「損をしたくない」という主婦感覚はおおよその人間が持っており

損は悪!ぐらいに速攻反応する、究極の損得勘定が漏れなく標準装備されています。

私もしっかり速攻反応したのですが^^;

仮にあなたが人の意見に振り回されがちだと自覚があったなら、
他者と自分の違いを常に比較するクセがあるといえます。

そして、そういう傾向と価値観があれば豊かさを遠ざけます
それは、臨時収入があっても、すぐ出ていく、といったような
お金あるある!といった流れになって欠乏感がつきまとうのです。

シンプルに言うと、思考が豊かな発想ではないのです^^;

この豊穣に対する反意語の凶作思考は、ハジキを自分だと値踏みしている元凶を創造し

心をザワつかせる自己否定、罪悪感、自己価値の低さ、存在の軽さに繋がっていきます。

この出来事は、その観念をいまリリースできるチャンスだよとZERO.からの警鐘です。

その現象を誰の感情で見ているのか、そこに戻ってみましょう

それは私(=波動・エネルギー)です。

私に起きたことは変えられません=事実はあるがまま
私の思考がネガティブ発言をします=感情で都合よくエピソードを創作する

人は外側の現実と内側の心のギャップに苦しむだけですが

この全てが、波動・エネルギーを基に創造現実LIFEを造り上げるエネルギーの動きです。

その意識世界は、創造現実LIFEで起こった「リンゴ事件」をすっかり消えて、

「自己価値」を裁判する劇団ひとり舞台の世界に替わっています

中芯軸がモヤモヤでブレながらも、心の被害者・加害者を天秤にかける
愛情の正しさを主張して、愛情を貪る姿が、私の姿に重なり心がザワつきます。

あぁだから、凶作思考(内側)を正当化するために、
創造現実LIFE (外側)に不当な悪をつくり、マインドに訴えて

愛の欠乏と充当を、天秤に掛けて平等にしようと心は躍起になっていたのかと・・・

では、豊穣思考で自己肯定が高く自己価値をきちんと受け止めていたらどうでしょう?

ハジキだけど美味しいから送るね。と話す人に対して、
豊穣=豊かな人が現実を問題にするなら、お金を出して買えばいいだけのこと、
相手の好意は素直に受け取るでしょう

スピリチャルではお金よりも、心が大事という論調がありますが、
お金も私に豊かさをもたらしてくれる素敵なエネルギーです^^

また、情ある行為は、なにもその相手に限定制限しなくても済む話です。

※この限定制限による我慢の反動こそが、悪口・陰口です。お気づきでしたか?

では、肉体ではなくエネルギーの自分で究極の損得勘定をしてみましょう。

地元しか出回らない梨、地方では味わえることもありません、希少な経験はラッキーです。

自分と同じ天秤に相手の価値観を乗せて、主張して気まずくなりたくない、
こんなことで気を患って疲れるぐらいなら知らない顔しておこう
知人・友達だから、と感情を仕舞い、いい人として付き合おうと黙るでしょう。

でも、
いい人=言わない。と 言えない。では違うのです。

スピリチャルは協調・調和・謙虚などイメージ優先で受け止められがち

でも自分に笑顔を向けられないのでは、心が疲弊してしまいます。

疲弊しないために取る行動は、誠実に心からアピールすることです。

自分に嘘がないことは、心を軽くしブレを作らないことです。

私の自信=自己信頼に波紋が広がった出来事を通して自分が何を思うか
短絡的なクレームではなく、自分のプライドに向き合い、
納得したことをぶつけることも大事です。

たとえなにか間違いが起 こっても、それでいいのです。
事態がちょっと手に負えなくなっ たとしても、
結果としてそれは望ましいことになるかもしれませんし

生には「事態を完全にコントロールする」ことよりも、もっともっと多くのこ とがあります。

そのプライドを友達が真摯に受け止めてくれるなら友達の意識にも何かが生まれる
それで互いに気分を害することになっても、のちに分かり合えることが必ず待っています。

言わない=排除ではなく、自分のプライドを見直してプライドを立て直す経験が自己肯定感を高めます。

これが処世術では起きない、エネルギーレベルのコミュニケーションです。

私もこの件で感じた事を包み隠さず誠意をもって友達に話しましたし、ケンカにもなりませんでした。

人の意識は目に見えない速さで縦横無尽に走ります、すごいと思いませんか?

リンゴから、自分が自分で決めている自己価値や、常識の比較エネルギーの重さの話に変わってしまうのですから。

このことから、豊穣とは何か、豊穣思考について考えてみました。

わざわざ、凶作になるような種の撒き方をする自分の思考を見直し、徹底的に凶作なエネルギーになるお付き合いを見直そうと改めました。

凶作思考が自分や他人の口伝で脳に入る、染みる、固定化する、固定観念が出来上がる、その固定観念を、また柔軟にして無くすのに浄化や実践する時間がまた掛かる。。。

こんなに疲れることを知らず知らずに、ず~っと採用して生きてきたかと思うとゾッとしませんか?

そんな凶作思考になってしまいがちな時に豊穣思考に戻す捉え直しができないものか

あなたならどんな風に考えて捉え直ししますか?

 

・・・つづきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です