ボクらはみんな醜態を曝して生きている②

ボクらは醜態を曝して生きている① ・・・つづき。

出会わなければ良かった。そんな出会いはありません。

感情は単に反応で、良し悪しは記憶に基づいたもの、怒りは決して悪い感情ではありません。

そのスピリット達との出会いは、感情(怒り)を取り戻す私のスピリットが息を吹き返すキッカケを与えてくれました。

「ウサギとカメ」のように、努力の積み重ねは安定安心をイメージしますが、才能を過信して怠慢になるのも人、そして、標準装備として人にある喜怒哀楽

ピラミッド構造の社会では全ての人が1番にはなれない「他人に自分の人生を乗っけたがる」のも、一番になった人が乗っかられて得られる快感も表現の一部です

怒りに限らず、どの抑圧感情も爆発すれば飛躍的に現実を動かす推進力、支えにもなるのです。

当時の怒りにも似た私の決心は、スピリチャルとの決別と、自分が ” 我がまま ” になることだけに夢中になる許可を与えました。

ブログを書いていた私は、同じくブロガーで歯に着せぬ物言いをする、あるスピリットと出会います。

その言いっぷりにスッキリ!世間の矛盾を代弁してくれる姿に心を躍らせました。

そうしてブログ上で『永遠の18才シスターズ』などと冗談を言い合うと、姉妹ブログのようにハシゴをしてくれるフォロアーも増えアクセスも伸びていきました。

内容はそんなキャラとは真逆なもので、医療、政治、歴史、事件、宇宙、食事に至るまで時事ネタを扱い、一億総白痴化現象を嘆き提言するような内容でしたが

その後も男女問わずフォロアーが増え、感情論や考えの違いからコメント欄が荒れることも

真っ向から議論して「あなたのブログを通報しました」と手段に訴える男性がいれば、受けて立とうじゃない!と使命感や役割めいたものに熱を注ぎ、感情刺激を存在意義に置き換え

「それがワタシ」と、脳内のあるべき姿=私の良い状態をガチガチに固め、ある時ハッと気づきました、 ジャンルが変わっただけ、相変わらず意識は”私をどう生きるか” 苦悩して状態を模索するだけ、同じだと。

変わったと言えば、情報処理能力が上がったこと、男子と肩を並べてもいい場所が見つかったこと、口は・・・災いの元と知ったことぐらいでしょうか^^;

何かやり切れない感情に、ずっと腹を立てている私がいる、、、

人の人生に乗っかろうとも、社会の代弁者になろうとも、意識高い系だと医療、政治、歴史、事件、宇宙、食事にコダワリ抜いても、社会意識に絡め取られていることには変わらず、見えない敵に良し悪しと不平不満だけが山積みになって相変わらず残るのです

” 人はもっと幸せになるべきだ ” という一般的な考えが、大衆の不安感を煽るマッチポンプになっていることに気づいていません。

ピラミッド構造の社会意識をベースに1番であること、そのための幸・不幸が社会全体の風潮で決まるなら、占い、霊能者、ヒーラー、セラピスト、マスメディア、経営者、ブロガー、宗教、宗教家、道徳、親、教育者など、、自らが観念に囚われてはいまいかと肝に銘じるべきです

観念を持てば自由ではなくなります、誰かの主張に違うと異を唱えるのも「話し合い」「嫌悪」「面倒」「事なかれ」に観念で分かれます。

どの性格のものであっても、比較・競争・闘争・崩壊ではなく、比較・競争・進化・結実の基本意識に目覚めることが大事だと私は考えます。

”幸せ” が浮かぶ前は、平和だの不幸だのと頭に浮かびもしなかったはず、脳は穏やかでストレスがなく、不快な心体反応も起きなかったはずです。

そこにはエピソードもない、そのままの自分がいるだけでした。

考えに執着することから生まれる感情に気づき、また、自分が自分の考えを絶対と信じたら、必ず不安や悲しみが生まれ「何かしなくては」という感覚や罪悪感につながって行きます。

私達の問題は全て「外」にあり、誰かや何かのせいだと考えている限り、状況が改善する見込みはありません。

永遠に被害者と加害者と傍観者をつくりあげ、それぞれの罪を抱え、マインドをオートマチックにするしか生きる手立てが無くなります。

つづく

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