メリークリスマス

d210e5e9簡単にいうと、善し悪しの判断を無くすとキリスト意識に近づきます。

私自身、無限意識に切り替える最中で、繰り返し繰り返し飽きずに諦めずにひたすら制限意識の判断に気づく作業をしているところです。

今日は、クリスマスイブ。

キリスト意識に意図的に繋がるには絶好の日なのかもしれません。

私はキリスト教とは関わりが深く、経典を信じ、伝え広め、自由平等愛の分かち合いに精を出した過去世があります。
けれど、死の際で「どうして神を信じ、教えられたとおり信者に伝えてきたのに、万人が幸せになれないのか?」と嘆きの気持ちを残したまま逝ったという、なんとも、マニュアルチックな味わいの無い人生を悔いた様です。

ですから、今生、宗教にハマるのは何とも違うようで、それでいて「神」という存在を信じたいような・・・そんな複雑な心境の時期がありました。

今でこそ、「YA〇〇WA俺、神」といった名言を「 アリだね。」と微笑みながら、偶像崇拝の神が絶対ではない宗教感のあり方そのものを、当時の自分に教えてあげたい気持ちにはなりますが、今生、形ではないとそのコダワリすら捨て去れれば「来るモノ拒まず去るモノ追わず」目の前に来たことに、争うでもなく避けるでもなく「一所懸命」に日々を味わえるものです。

そして、神意識がすなわち天意(あい)だということ、思い=重い思考が及びもつかない、100%の無重力空間が、コズミックバランスの取れたその空間に身を委ねていれば、それだけで出来事がパズルのように、すべて気持ちよく最短でハマっていくのです。

まさに、無重力空間=コズミックバランスは天意(あい)=愛。

報われないことも守られないことも、全て天意(あい)というバランスで均衡を保ち、例えば、一人ひとりがパズルのワンピースであったならば四隅のピースが真ん中にハメ込むことが出来ない様に、一人ひとりの与えられた場所で自力で生きようとせず、それぞれの役割を私情挟むことなく生かされることが本来の無理のない「生きかた」で、ここ数か月そういう総体的スケールを自分の中に持つ機会に何度も恵まれました。

 

自力で生きることがいかに私達を疲弊させているかを知らず、頑張りだけで生きようとすると天意が必ず教えてくれるようになっています。 記憶媒体のDNAが壊れると先天障害に、怪我で後遺症が残ると後天障害となりますが、それでも、切っても切れない太いパイプが私達にはあるのです、それが直感となり私達を生かし続ける「天意(あい)」であり、その直線軸の真っ直ぐなパイプを別名では「生命」といいます。

7596429558_1352eb8e33_bそのパイプは真っ直ぐ天と地に降りており、自分が成し得たい事があれば、その時に点となり、銀河の様に渦を巻き起こします。

その生命のパイプとそこから発生する渦は、横から観ると「十字架」という形霊(カタダマ)を成すのです。

クロスする時の点は「今」を表し、それは生命力豊かに上下左右に高く広く噴射し続けます。

この生命の源は現世的な小賢しさでは決して造られるものではなく、生命の創造力で発動される命の火=命の光です。それは闇がなければ輝くこともなく全てを包括しながら形霊を成す無限の世界です。

今日は、私も結界を張っていた古い意識(地球意識)を崩壊させて、真っ直ぐ垂直に伸びた天意(あい)を太く広く自分を中心に渦を巻くようにベル=鈴の音(本音)を響き渡らせたいと思います

皆様も古い結界を崩壊させると意図して下さい。

高らかに!鈴の音(本音)を聖なる夜に響かせましょう、メリークリスマス。

 

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