ワンパターンのワナに騙されるな!

lgf01a201310230600現代は証拠、証拠と全てを明らかにするものこそが存在を許され、認めらています。

ips細胞やらstap細胞やらの利権争いも叫ばれたなか、軍配はノーベル症に上がりました。

そんなことからも、目に観えるものや、証拠や、根拠は私達にはどうしても必要なものであり、それ以外をファンタジーにしてしまう傾向があります。

確かに、エネルギーを学問で追究できるのは科学です。

その科学の世界が一部の人達によって、一部の人たちに好まれるように整えられることは容易いことかもしれません。

なにしろ私達はその現場を知らされていないのですから、それが利権であり、無知な私達に突き付けられる怖い事実かもしれません。

私達はこれまで、民意的賛成多数の中で公平な考えがこの世を正してくれていると疑いませんでした。

しかし、「あります」と一人叫んでもそのチカラは非力であり、それこそ多数意見に消されてしまう、そういうニュースをずっと垂れ流し的に視覚・聴覚から脳へ流してきたのです。

無意識に流したこれらの絵図らは、知らず知らず他者を監視し、自分の正しさを楯に、他人を鉾で突く、差別を生み、またそれは、現代の無関心まで生むようになったのです。

私事ではありますが、秋田という自然が取柄だけの田舎に住む一個人が「宇宙」や「フリーエネルギー」を語ることは都会から見ると、そういう自然環境に住むことの付加価値がつくかもしれませんし、同じ地元に住む者からすればクレイジーに観えるかもしれません。

それらを理性的と世間は言うのかもしれませんが、この世は二極の相似形であり、見る人によってその見方が分かれるものです。

そうして正誤・善悪・成敗・・・を繰り返してきた結果、個人の自由や力や名声には切がなく、それに気づいた個人はやがて全体意識へと還る旅路に入ります。

サイキック能力があるものは個人のエゴで発揮した場合、大体において身体を壊します。

被害者意識に添った感情論でカウンセリングした場合であっても同様、慰めはリピーターを増やすのみで、被害者意識の捉え方を教えることなく同じカウンセリングを繰り返し、挙句、雑談で終わってしまうケースも多いものです。

クライアント様の場合にも同様のことが言えます。

お金を払って耳の痛い事を言われるとカウンセラーの選択を間違ったと主張される方もおいでです。
しかしながら、その時に選択したのはご自身であり、その選択はその時のエネルギーの共鳴です。

「言われた」「された」「感じた」という以前に「ご自分の意志でお金を支払って聞きに来た」というスタンスでなければ、どういう場合であってもご自分を簡単に被害者にして波動を下げてしまわれる事に気づかなければなりません。

全てにおいて覚悟(生命力)の問題です。

さて、それでもなぜ人は占いや霊媒やサイキック能力やアカシックレコードなどのような非論理的、非現実的、迷信的、なものに惹かれるのでしょう?

それは、私達の世界が「必然の法則」で成り立っていると夢にも思わず、偶然であってくれた方が気が楽で、その必然性を突き付けられても受け入れられないのです。

原因と結果があることは間違いありませんが、私達はその二極のみを信じ、経過、過程はすっ飛ばしたいと願っています。 時間が悩みの種でもあり、悩み、恨み、泣き、無駄を避けたいとも願っています。

しかし、この三次元世界はその時間こそが奇跡であり、その時間によって味わえることが数多あることを「結果」のみに気を取られていては気づけません。

何かを得られる時間を瞬間で喜び、何かを失う時間を永遠に感じる必要はありません。

事実は「結果ありき」で、原因が生じ、その結果を出すためには約1億通りのパターンが存在し、その1パターンを選択して我が人生に取り入れているのです。

そして、その1パターンを飽きずに繰り返すことがワンパターンであり、ワンパターンの結果ばかり繰り返すのです。

いかがでしょう?

経験を無駄にするなとは、ワンパターンになるなということ、そして自分が同じところ回っていれば無意識的に同じような時間を過ごしますが、自分の意識を変えるだけで、エゴを自覚し決別を意図するだけで、自己のワンパターンが、2パターンに3パターンにも可能性を広げることを本気で知ってほしいと思います。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です