不完全だからこそ全体性を観る意識を

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清く正しく美しく生きると、汚い間違い醜いを知らず知らずのうちに悪にします。
凛と生きたいと律すれば、軟弱を敵にし、 正論を主張すれば、たちまち攻撃や言い訳と対極はみなします。

答えを求めれば二極に分かれる=分ける世界ですが、善を意識して生きる時、悪も無意識に育ち生きるのです。

正しいさは正しくないを知らなければ主張できないもの。一つだけが生まれることはなく、もう一つを同時に生み出し、お互いが表裏一体、重なり合い育てあっているのです。

私達の生命が生き生きと躍動するのは、極端な部分を味わっている最中かもしれませんし、バランスよく全体性を観られるようになった時かもしれません。つまり、個人個人味わうことを謳歌している時なのですが、究極それらを含めた気づきを得て、完璧に重なり合った世界においては、もう味わったり、育てあう必要性もなく、そんな概念もどこかに飛んで行ってしまう、そんな次元があるのだということ。

そしてその世界がZEROの世界なのだろうということです。

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