二つの狭間にあるもの全ての自分を観よう!

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つらいことがあったからこそ、優しくなれる人。
つらいことがあったからこそ、陰湿になる人。

by 雲黒彩さん

雲黒彩さんの本に出会った時、目から鱗とはこのこと!と、私が感じていた事がすごく分かり易い言葉で綴られて「言い回しが絶妙で羨ましく上手い!」と絶賛している大好きな・・・なんて言うんでしょう?スピリチャルブロガーさんです。

その雲黒彩さんが、FBでこうつぶやいていたのです。

つらいことがあったからこそ、優しくなれる人。
つらいことがあったからこそ、陰湿になる人。

そうなんですよねぇ、と感じます。 この世は二極ですから何事も陰と陽に分かれますし(善し悪しを問うでなく)、そういう事を腑に落としている人や、やり過ごす人など、人への関心や理解も違うと人間関係のトラブルで学ぶ大人は多いですから。

今、感じていることに、このテーマが正にタイムリーだったのでお話ししたいなと思いました。

コラムを書いていると、読んでいらっしゃる方にどうお伝えしたら分かりやすいか?を考えながら、例え話などで読みやすく、想像しやすいように工夫をこらすワケです、しかし、その意図とは別に文章表現には必ず加わるものがあります。それは「人間性」。

これとても面白いもので表現されるのは、個人の性(さが)なのですね(※性質・性格は変容しますのでずっとそうだとは断言し難いものです。)

201107201200-1あるブログは、バブルの頃にウケていた「私、怒ってます」よろしく、ベランボーメー口調の「怒り」を主体に、日常のオカシイことを題材にして(これ自体に正誤はありませんが)、「アンタにアタシの何が分かるのよ」とか「絶対に有り得ない」など、痛烈に言い放つ毒舌ブログが、弱者の胸をスッキリさせる清涼剤になって、大衆にウケていたり。

方や、運を良くする方法を一生懸命に紹介するブログ、あなたにとっての幸運のナンバー、幸運のカラー、幸運の場所、幸運のブレスレット・・・、と沢山の情報で幸運ジプシーになりそうなくらい、開運大出血サービスのブログがウケていたり。4264225457_a77e4efc2d

好む好まざるだけで、書き手にも、読み手にも、人間性がそこに垣間見えるものです。
(※視覚媒体だからとキャラ造りに余念がないなどの性も、どうしたいの?によりますが)

ベランボーメーブログは、オカシイことはオカシイ!とハッキリした語り口が、常に激怒印象になるため、見ているこちらの方で「よく疲れないわね?」と、その根源のブレのなさが、怒らせたら怖いというジャイアン意識を芽生えさせたり、はたまた、常に欲求不満なのかも?と、だんだん「わかるけどさぁ・・・。」と、時としてブロガーの感情起伏に同調してグッタリしますし

天使系ブログも、ほんわかしたスピ・イメージ、フェアリーテイストで誰にも迷惑をかけたりしませんが、「でも、アタシには見えないし・・・。」と読者に憧れや羨ましさを与え、反作用として、自己のもどかしさを誘う、呼び水になったり。

ハウツー系ブログは、「こうしてみるといいですよ」と言っていながら、それがエスカレートして「こうしてませんか?それでは駄目です。」とダメ出しばかりで、読んでいるうちに戒めに走り、自由どころか別の意味で思考に縛られてしまうなんてことも

いろいろと有りますが、全て私も通ってきた道です(苦笑)

そして現在、それらにあまり意味を持っていない自分がいます(笑)

さて、子供の頃の苦手な宿題と言えば、読書感想文がありました。 遊ぶが心をくすぐる子供時代に、本にも冒険が詰まっていることになど気づきもしませんでしたし、興味は全くありませんでした。

大人になって現実的可能性が少ないと認識し始めると、人の人生ってどんなものか「覗き」みたさも伴って、書籍を読み漁り書籍代だけがかさむ時代もありました。

ネット時代になるといろいろな情報がポイントを絞る絞らないに関わらず目や耳に入ってきます。

そしていかに自分が無知だったかを恥じてみたり、人より何かの分野は得意だったことなどを知ったり、同情したり、されたり、文句言われたり、言ったりと、ぼちぼち頑張ってきました。

「つらいこと」の根底には、経験したことを認めて欲しい=肯定して欲しいという激流が流れています。

この「つらい」のは、子供の頃か、過去世の頃などに、自分を肯定してこなかった自己卑下の思い込みに由来します、だから、人からの認証ではなく、自分を認証・肯定する=自己愛が必要なのです。

自己愛が少ないと、他者評価に囚われる傾向か、まったく他人を無視する傾向として出る場合があります。

子供の頃にかけられる「愛情」が薄いと、自分の世界だけで生きることになり大人がうんざりしている「比較」をせずに大きくなるので一見、独立独歩で自立して観える様でも、反面では独りよがりで他者を傷つけることもある、そんな側面を見せます。

ベランボーメーブログも、やもすると、ひとりよがりで自己価値の押し付けになり、「この人オカシイでしょ?絶対オカシイよね!?」と暴言を楯に、脆さ・弱さを引っ込めた強気系ブログなだけで、根底にはその方の淋しさ・悲しさが透けて見えるワケです。

いつも申し上げていることですが、分かり合えないからコミュニケーションがあるのです。 感情想起のメカニズムは、嫌な想いがうずく時は過去と比較する事柄が必ずあり、嫌という想いを想起させた出来事に対しての怒りは、心と頭で辻褄を合わせてからでなければ説明出来る物語になりませんし、怒りは後付けのことが多いです。

蝶よ花よ天使系ブログも、良いことをやっていたら良い結果が付いてくるに違いない希望系なのですが、根底には心配と不運を身に纏っているので「良いことをしていれば絶対幸せになれる」になる依存系の心理が隠れています。

ハウツー系ブログが戒め系に変化するのは、方法論ですから①はこれ、②はこれ、③はこれ・・・と手順を理論通り、頭を使って実践していきましょうという実験になります、ですから、実験の手順を間違うと先生に叱られる、いや、神様が観ていて呆れている、こうなったのはきっと何か失敗したからだと、結果を常に気にするようになり自立の遠回りになることもあります。

lgf01a201305150300全部やりました、私(笑)

そして、現在は全部捨ててしました。

そしたら、勿体無いどころか、こざっぱりしました(笑)

人のことも、まぁまぁどうでもよくなりましたし、腹の立つことがあってもまぁまぁ10分もあれば基に戻ります、心配ごとがあってもまぁまぁ何とかなるでしょと思えるようになりましたし、怖いことがあってもまぁまぁなるようにしかならないと腹を括れるようになりました。

それは、雲黒彩さんが今回おっしゃっている「つらい」=「何のつらさを基に」という、つらい基準をZEROにしたからに他なりません。

元々の基準に二つの意味づけがあるだけなのですから、基準を計りなおせばいいのです、ZEROにするのは難しいことではありません。

自分が考えている心配は、あなたの思い込みから、あなたが始めた、あなたの物語であって、あなたが著者なのです、ですから感想文も簡単に書けるはずです。

考えてみてください。嫌なことがあって誰かにその事を話たくなりますが、その時、感想文を書くことはしなくても心情=感想を吐露することは簡単じゃないですか?

それを聞いた方が意外と冷静に「思い込み過ぎよ」とそっけなく言われた時の落胆ったらないワケです。

その落胆こそ、あなたの思い描いている物語が読者ウケと、その物語への感想で自己評価された瞬間なのです。

人それぞれ、思い込みを物語にしながら人は今日も生きています。経験を積むことが天意の意向なら、色んなことにくじけてみればいい、笑ってみればいい、怒ってみればいい、泣いてみればいい。。。

でも理性も立派な人の性、バランスは取った方がいいのでは?と私は感じます。

我慢も人についている素晴らしい理性です、感情も人についている素晴らしい感度です、それを使わない手はない!

すべて体験してみて分かることは沢山あると私は思うのです。
ありきたりな言い方をすれば「ワガママ」ではなく、勇気をもって我がままに味わって行く、恥をかくのもかき捨てと体験してみればいいと思うのです♪

笑われながらも怒られながらも生きてきた私がいうのですから「とりあえず、笑って行きましょうよ」

人にコントロールされるのはもうつくづく、うんざりした私から申し上げる簡単なエールです。

人生いろいろ!

 

 

 

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