人の自然の行動 祈り

62a2b8a7東日本豪雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

人智及ばない次元で起きる出来事に人が出来ることがあるなら それは『祈り』です。

現代はその祈りも迷信扱いになっていますが、次々に流れてくる情報やご自分の想像をはるかに超える出来事が目の前に展開された時、言葉を無くし、身体の内側が熱く震え、空(くう)を見つめるだけになります。

その何もない空間を見つめる、無意識の動きは、私達が空中いっぱいに広がる五元素に語られる本音・祈りる気持ちであり、魂発動の真っ直ぐな意宣りは、次なる展開の扉を開けてくれます、それは本当にスゴイことなのです。

小さなことを見落としがちな日常が一転、嘘だと思いたい現実を引き寄せた時、とっくに分かっていた、私達も五元素からなる意識体であり、災害もまた五元素のうずきであったことを認識させられハッとします。

ガイア(地球)という意識生命体に住む者の定めとして 争う(あらがう)事も無力なことも意識に同時存在しますが、こういったときに人の意識に起こるのが 原点回帰現象です。

人も自然も五元素からなる生命体なのですが、現代文明は、災害に対しても「負けない!」とレッテルを張りたがります。

現実的にそう観えることであっても 勝負をしているのは人の意識であり、自分の意思を折れさせないために「負けない」と踏ん張ろうとしますが

その基になる固定概念は、経済を回す者達によって与えられた「人並み」「平均家庭」という価値への、がんばりと努力の対価に基づいた概念です。

その観念が、一瞬にして奪われた喪失感を、なんとか奮起させる言葉が「負けない」となるわけですが

2015091099150140昨夜も早速、「ヘー〇〇ハウスの家が強い!話題騒然!!」と洪水にのまれ倒壊した家屋を、災害に強い家と弱い家に分け、痛ましい住人の心情など推し量ることのない、なんとも、「恐怖」を貨幣価値に置き換え、意図的にコントロールしようとする者達が出る始末。

私が十数年前に観えた世界で、こう言われました「涙流す者いれば、その涙で潤う者もいる」(良い悪いという意味ではなく)と、陰陽におけるカオスの世界の実像です。

1つの現象に、いろいろな情報がそれこそ善し悪し関係なく群がる時代です、人がそこで何を観、何を感じ、何を考えるのかは様々で自由意志の世界です、現実には被害者も加害者が存在しますが、意識的な部分での被害者も加害者もご自分の選択によってのものですから、そこに判断はまだ存在しません。

しかしながら、冒頭でもお話しした通り。 人智及ばない現象を目の前にした者達が、被害者、加害者問わず共通してすること、それは祈りです。

本来、人は そうするのが自然なのです。

災害を前に、自然に怒る感情などが出てくるかもしれませんが、怒る(おこる)=奮起は、生命力を熱くするものであり、何かを起こす前に出てくる感情でもあります。それが原点回帰の前の感情であれば上々です。

しっかりしていなかったと反省するものは「しっかりしよう」と原点回帰し
めそめそしているものは「そんな場合ではない」と奮起する原点回帰を
怒っている者は「怒っていても仕方がない」と原点回帰を
心配ばかりしている者は「今を生きねば」と原点回帰をするのです。

つまり、原点回帰という現象は「諦め」でもあります。

「諦め」という言葉を聞くと、また人によっては、惨めな気分になる者や負けた気持ちになる者がいるかと思います。

これを機会に現状の価値観=イメージを180度見直してみてください、「諦め」=「物事を明らかにする目」を目覚めさせる言葉なのです。

祈らなければならない現象を観ることによって、人との関係、自然との関係、地球との関係、宇宙との関係を推し量れる者達が目を覚まし、また明らかな目を持つ意識現象だと感じはしないでしょうか?

きっときっときっと、災害にあった地域の人達とその土地は、今までと全く違ったエネルギーになり、それぞれが、そのエネルギーに人肌という体温を感じ、もっと触れ合いたくなり、もっともっと交わりたくなり、もっともっともっと歓びたくなると感じるのです。

過酷な現状であればある程、人はそういう性(さが)を持った生命力の塊だと強く感じると思うのです。

被災地に向けて今、何も出来ないと情報に嘆かず、自分で出来る事を少しでもしましょう、そして、一緒に祈り=意宣り ませんか? その顏晴り(がんばり)が、新たな時を創造できるように。

 

 

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