伝わるメカニズムは言霊に通じる

640x359xtrauma2.jpg.pagespeed.ic.v_4qTM4cvXモンスターペアレントという言葉があるのだとか。

言葉遊びが好きなマスコミの餌食になって、つい使ってみるとアッという間に広まっているのがこの世界。

これを空気伝道と私は勝手に名付けています。

水は電気を通す情報媒体、それは私達体内にもあり、空気中にも水素があります。

五元素があっての地球なのですから当たり前なのですが、私達の吐く息にも、吐き出す言葉にも水分が含まれます。

言霊のメカニズムは科学でも物理学でも専門分野の見解だけでは分かりづらいものですが、一堂に介せば多角的に実証することができます、ですから言葉にする「有言実行」は正にその通り、分かりやすくないですか?(※言っても動かない方は、したい事を観念でブロックしているに過ぎません。)

流行にはワケがあるのです、そして、流行るのではなく、裏で流行らせる構造も社会にあることをお忘れなく。

話がそれてしまいました。
(※ここからは、思考を真っさらにして、なるべく我がことではなく全体バランスを頭に置いてお読みください)

親は子供を自分の所有物だと思っている人が多いなと最近よく感じます。

子供の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を、我がことのように感じ、まるで一心同体と言わんばかりです。

非行に走る我が子を、昔は「家の子に限って」と嘆くのがお決まりのフレーズでしたが、モンスターペアレントなどという言葉が一人歩きする今は勝手が違うようです。

遺伝子的にいうと子供は親のハイブリット型です。 親より進化して優れたDNAを持っているのが子供。

お金も地位も力も言葉もない子供の非力さを、劣っていると「決めつけている」のは滑稽なことです。

子供を「苦労して」育ててきた、または、保護してきたという目線(=被害者意識)や、このくらい「頑張って評価価値を認めてもらうように育てたんだから」という自己同一化(=所有物扱い)を、自分はしてはいないかという目線で観ることも時には必要かと思います。

「うちの子に限って」の「うち」を「自分」という言葉に変えてみて下さい。「自分の子供の限って」より具体的になります。

たとえば、我が子が他人に叱られた、批判されたとしましょう。

子供が叱られるようなことをしたので叱られただけですが、自分のものと子供を扱ってきた親は「自分が叱られた」「自分が恥をかかされた」とすり替え、子供の世界に大人の言い分を通して意地を張ります。

それを見ている周りの子供や大人はどう感じるでしょう? または、空気伝道はどうでしょう?

子供は血のつながりがあるだけ、一個の人間です。

幼少期の愛情は子供の情緒を安定させる上ではもちろん重要で必要な事ですが、現代は、なぜか血のつながりが、知のつながりになっている気がします。

自分の分身だからと、詰め込むだけの技術やノウハウに躍起になり愛情という言葉を笠に、子供を所有物扱いする、そういうつながりをエネルギー的にみるとトゲトゲしさを感じます。

考えて見て欲しいのです。

親は子供のやることに口を出せます、手を出せますが、子供は親や大人のやる事に間違っていると口を挟みますか?手を出しますか?あるがままを認めている(認めさせている)のではありませんか?

子供は成長過程でジッと親や大人の行動をみては真似をし、何一つ決まってなどいない人生を、自分の可能性を決めてかかって生きるようになり、カエルの子はカエルになるのです。

一時の行動に対する一時の批判を引きずり、その時という点、点、点、を後生大事に線にしてきた結果がべっとりしとした今を生み、誰しもが過去に帰ってやり直したいなどと口にするのです。

批判からは非難しか生まれないことを「みんな違っていい。」まずは身近なところから認め理解していくのが道理かと思うこの頃です、利己的にではなく利他的に「みんな違っていい。」

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