出たらメッ!の亡霊の正体。

120052280_883181c270_o先月ある神社に詣でてからというもの「エゴの確認」が次から次へと宿題のように出され、やっとその宿題をクリアしたようで、ここ数日とは打って変わって今朝は久しぶりに気分爽快でした。

私事のデタラメ(出たらメッ!)が、亡霊(思念)になり俳諧していると耳にしたことがありましたが、最近また、その亡霊にひょっこり出会いました。

言霊とは酸素の中の特に水素を介して伝搬していきます。 人間も70%の水分で構成されていますので、ある思念を耳に入れ感情が反応すると、朱に交われば何とやら・・・色に染まるのは早いわけです。 ですから聞く側も耳に入れたくなければ聞かない姿勢を保つことも一つの方法かと思います。

私自身はこの亡霊とは、関わらない事を「決断」しています。 無念さを漂わせる亡霊には、放った側のいわゆる「鏡の法則」が働いているので、向き合うべきエゴを他人のせいにし続けると、エゴはパターン化し(カルマ化し)手を変え、品を変え、繰り返し現象化し続けるわけです。

また亡霊(思念)は、のちにご自身のココロを乗っ取り、エネルギーを滞らせ、体に余分な脂肪を付けますので、肥満(ご病気を除く)は思念と深く関わり合いがあるのです。 巷の食事ダイエットに励むのも良いですが、ココロ模様をクリアにする事も平行して取り入れると効率よくダイエットが進むと言っても過言ではありません。

厄介なのは、この亡霊をことさら「見た(聴いた)」と話題にしたがるオーディエンスの間での水素の伝播で、怖いもの見たさで亡霊(思念)話を広め、更なる亡霊を集めることです(カルマの共鳴現象)。

第三者がその亡霊を観たい聞きたい知りたいとなれば、宇宙はご本人のオーダー通り、現象界で現実のものにします。宇宙は中立で私or貴方、幸せor不幸せという概念はありません。 ですから「人の不幸は蜜の味」と、我がことの歓びとして味わえば、意識的に止めない限りパターンを繰り返すことになります。

自分のココロ模様(エゴ)を観ず、これだけ嫌な気分にさせられたのだからと、飲込みたくない異物(エゴ)を吐き出せる人やツールを探し回り、被害者よろしく亡霊(思念)を放ち、無念を晴らす。(※被害者も加害者もありません)

無念を大義名分に、放った亡霊(思念)は同じ仲間を探し彷徨い続けるのです、そしてカルマの集団になり、から騒ぎを始めます。 「撒いた種は自分で刈り取らなければならない」といわれるゆえんは、その感情サインを見逃さず「カルマのパターンに気づいて下さい」とガイドの囁きに耳を傾けることを意味するのです。

現象界は100%自分のエゴのファイナル・アンサーです、しかし、それに争う更なるエゴが「何もしていないのに理不尽だ」と拒絶しても、人の不幸を我がことの歓びとして宇宙にオーダーしておきながら、いざ注文がくると歓べないからキャンセルできないのでしょうか?と言うのは、いかにもこの世的な発想です。

これがデパートならば、フルオーダーへのキャンセルは、自己都合の代償責任を伴うものですから、当然、キャンセル料が発生します。 このたとえでお考え頂ければ、宇宙オーダーも理に適っているとご納得頂けるかと思います。

亡霊とは相手を好き過ぎても、嫌い過ぎても表れる憑依とも言われる念の集合世界・四次元世界の産物です。 その亡霊(思念)は同じ質を持った人の事が大好きなので共鳴し合い、亡霊を怖がるどころか蜜の味を楽しみ、更なる亡霊を招き入れ、そのサイクルで生き続けるのです。

亡霊を相手にするかしないかは経験値にお任せしますが、私は亡霊を日々扱っていることからプライベートまではご容赦願いたいですし、たとえ、その亡霊が多勢に無勢で容赦なく襲いかかってきたとしても「真実」が私を繋いで離しません、今だけを見つめていれば、いくらでも思いひとつで気持ちを立て直せるのです。

関わりを持ちたい者同士が関われるのがこの世の良いところです、亡霊的関わりを味わうことも宇宙の巡りですので経験することもまた循環のひとつ悪しきことではありません。 「亡霊」暑い夏も近いことですから堪能するのも、また一献かと存じます。

 

napier 第3回ベースZERO・スピリチャルセミナー開催ご案内

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です