夏至から夏越の大祓へ

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秋田・唐松神社、天日宮

夏至の今日、夏至点到達時刻7時34分を神社で迎えたいと思い立ち、早起きをして秋田物部家で有名な「唐松神社」へ参拝しました。

九州地方が豪雨被害にあうなか北東北の秋田は朝から陽のさす28°の夏日となっています。

写真は今朝の天日宮です。

秋田物部家の邸内社という天日宮は、周囲に花が綺麗に活けこまれ、何十万個かの天然石で築造されており、全国でも珍しい神社建築となっています。

今日は早朝からその空間に満たされ、ふと時の経つのを忘れてしまいました。

さて、秋田物部家といえば「物部文書」が有名で、遠祖は饒速日命です。


唐松神社の秋田物部家の家系図では、この膽咋連(いくいのむらじ)を鼻祖(=始祖)とし、四代を省略して物部尾輿(もののべのおこし)が記されています。

尾輿の後継者は物部守屋ですが、蘇我氏との戦いで有名な守屋の名はなぜか表に出た形で記載されておらず、守屋の子、つまり尾輿には孫の那加世(なかよ)が秋田物部家の祖・初代として扱われています。

仏教が伝来して、排仏派の尾輿と守屋は、現在の韓国を出自とする百済王家で帰化系氏族と結んだ崇仏派・蘇我氏と、神仏の宗教戦争を引き起こします。

用明天皇崩御の年、両氏族は皇位継承を巡って対立し合い、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を擁立する物部守谷は、崇峻天皇(すしゅてんのう)をたてて聖徳太子と組んだ蘇我馬子との戦いに敗れてしまいます。

蘇我氏の天下で仏教は隆盛の一途を辿りますが、物部の一族は各地へ離散し隠れ住むようになります。

蘇我氏の勢いは止まらず、手を結んでいたはずの聖徳太子とその一族も遂には蘇我氏によって滅ぼされ、のちに周囲の反感も強まり、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌子(なかとみのかまこ)等が蘇我氏打倒を目指し、蘇我入鹿の暗殺を決行したわけです。

秋田物部家は那加世(なかよ)を初代として、現在まで六十代以上続いております。


歴史はその時代の勝者によって書き換えられた「物語」であることを頭の隅におき、各自の歴史認識において考察する必要があると思いますが、歴史ロマン、いつかはロマンではなく、自分でその時を観れたらなぁ~と感じてしまいます。

唐松山天日宮(あめのひのみや)は物部氏ゆかりの宮であり、歴史から消されたスサノオの三男・饒速日命(ニギハヤヒ)を祀るとされているのですが、推測すると日本最後の大和の天皇(出雲系)だったのではと感じていました。

いまでこそ、詳らかに情報の点と点を結ぶのがPCで簡単になる以前には、いろいろな場所へ足を運び、疑問を推測で補い想像を膨らませることも楽しいものでした。

秋田と山形の県境にある鳥海山(チョウカイサン)は、かつて饒速日命(ニギハヤヒ)が天降ったとする伝説があります。

鳥海山(チョウカイサン)を「トリウミ」と発音すれば、スサノオゆかりの地・三輪の鳥見山(トリミ)、トリウミ→トリ〇ミに限りなく近くなることから関係性があるかもと閃けばドキドキして知的欲求は増し

饒速日命(ニギハヤヒ)が天火明命(アメノホアカリ=彦星のモデル、織姫のモデルはセオリツヒメ)であることは既に知られてますが、奈良・三輪神社の大物主も同一人物で、鳥海山の麓にある大物忌神社もそれを指しているようです。

神話では、黄泉の国から戻ったイザナギが禊の際、鼻から生まれたのがスサノオ。

中国では、胎生動物はまず鼻から形作られるとされ たところから、物事を最初に始めた人を「鼻祖」というのだそうです。鼻から生まれたスサノオが最初に物事を始めた人と考えると、神話と言葉の成り立ちが教えることは面白いと感じるのですが、後世、饒速日命(ニギハヤヒ)は歴史から隠された存在になるワケです。

天の橋立の籠神社から罪人のように籐丸籠の船に乗ってヤヒコへ向かった饒速日命(ニギハヤヒ)。

ps1_001数年前から新潟の方とご縁があり、旅先で初めに案内されたのが弥彦神社でした。ヤヒコとは弥彦のことではなかったかとチラッと浮かんだり。

歴史上消された饒速日命(ニギハヤヒ)は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」といい、その名を天照(アマテル)といいます、つまり、天照大神は男神であったワケです。

以前、今でこそ歌われる「あわの歌」を唱えるにも慎重に時期を選ぶ必要があった十数年前。

天照が男神であったことは、あわ歌を地上に降ろすお役目を担っていた方々からお聞きしており、加え、作家・高橋克彦(岩手県出身)の「火怨 北の耀星アテルイ」の中で阿弖流為が征夷大将軍坂上田村麻呂と誓いを立てる場面で〝アギタの神に誓って〟という一説で全てがハマッたとような興奮があったことを思い出します。

 

籠目の歌の「夜明けの晩に鶴と亀がすべった~」は、昨夜の満月と今日の夏至のその時を待って待って歌い継がれてきた歌。

遡ること、運を良くするために縋るファンタジー・スピリチャル、サイキック能力を競い合うエゴ・スピリチャルを通して「所詮、人の欲はそんなもの」と嫌気がさし、その反動で、超古代史や裏歴史、都市伝説的な陰謀をブログで書いていたことがあります。

ブログの中ではジョークで自称18才乙女ブロガーと言い張りながら、「18才シスターズ」と名乗り、知人とブログをリンクさせながら、日本の裏、世界の裏、経済の裏、宗教の裏、あらゆる「裏を取る」ことに躍起になって「真実と欲」についてバッサバッサ斬る、サイトのやり取りがそこそこ話題になったことがあったのですが

何の因果でそこまで繋がったのか、そのブロガーがスサノオゆかりの地、三輪=兵庫の方だったのですから、あとの祭りは面白い

なんとも、辿る道はベストな時に、ベストな場所と、ベストなルーツの謎解きをするヒントが満載だったこと、また、時を超えた先人の叡智を知ってしまうと、疑うことよりパズルのピースを探す探検に似た知力を働かせることが勝って夢中になったものでした。

私の道はまだまだ続きますが、疑い出せばきりがなく、信じる者は救われる道を選んできた自分の本能があれば大丈夫だと振り返って感じています。

帰りに、山形庄内ナンバーの女性二人組の参拝者と挨拶を交わしたところ、お一人は山中湖からいらしたとのこと。

山梨富士五湖の山中湖!夏至に遠くから足を延ばした参拝に驚きながら、そうか、もう「人間」一人ひとりがパワースポットになる時代になったんだと感じ入り

そういった人間パワースポットが日本中至るところを駆け巡ったのなら、日本の将来も、この先の未来もいい方向に歩むに違いないと清々しく唐松神社を後にしました。

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