多視点・多角的・総合的

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ブログなどで沢山の情報に日々触れさせていただいております。

私もブログを何度か書いてきたこともあり、時にそういう意味に取ったのか。というインパクトの強いご意見をコメントで頂いりしたこともあります、そのたびに言葉の表現が違ったかな。と反省することしきりだったりするのですが、時には、ハッキリ明言断言することもありました。

人それぞれですから、意見や定義に耳を傾けるのは必要だと思います、しかし、あくまで人の意見や定義、鵜呑みにするのではなく、自分の解釈で見識を広げなければ自己の成長や創造性は膨らまず、現実には批判的になりがちです。

例えば、無自覚で生きる、自覚を持って生きる、どういうことかを言葉で表現するのは本当に難儀です。

スピリチャルで解釈すれば分かりやすい事もあれば、現実的に例えるとピンときやすい場合もあり、伝える方は頭に汗をかきかき手を変え品を変えて伝えようとします。

それでも「分からない」とおっしゃる方がおいでです。

実のところ「分からない」は「分かろうとしていない」からです。

学校で「分かった人」もしくは「分からない人」と先生が逆に質問したことを思い出すのですが、「分からない」ポイントも言えないのでは、分かる、分からない以前に、聞く耳を持っていない。というのが本当のところ様です。

聞く耳を持とうとしない、その不自然なスイッチを作動させたるのは、他ならぬ自分で創り出した限界と制限です。

「分かりません」と言う前に、本当に分かろうとする気持ちがあるのか?自分に問うてみると、理(コトワリ)が解り=理解が生まれると思うのです。

 

 

 

 

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