大らかに嫋やかに凛として進む。

文中、常識的な善悪の感情が出る箇所がいくつかございます、委ねる意識と自覚意識の狭間のについて書いておりますので、自己を一歩後退させて中立・中庸な視点でお読みくださいますよう、お願いいたします。


OLYMPUS DIGITAL CAMERA

シルバーウィークも終わり、コラム更新に間が空きました。いかが連休をお過ごしででしたでしょうか?

私はこの連休に思い立ち、霊場の御岩神社へ詣でてまいりました。総祭神188柱もの神様をお祀りしております。(※ほぼ総ナメ状態です

「必ず一人で行きなさい」という師の言葉が納得出来た今回の旅。

師いわく、このスポットは、「本人の意識」がそのまま増幅されるそうで、恐怖感を持ったままの人、罪悪感を持ったままの人、戦闘態勢を持つ人、宇宙への不信感が消えない人などには、それが増幅されることもあるらしく、素直に、あらゆる全てに愛と信頼を持って行かれることが重要だと思います。とおっしゃっておりました。

参道を歩くと、その空間に細胞一つひとつが、ざわめき光り立ち、緩むというよりは、密度の濃い空気感が体に伝わってくる程で、なんとも形容しがたいものがありました。

神社を詣でた後、山頂までの登山を楽しんだのですが、面白いことに山頂に行けば行くほど心身が軽くなる不思議な感覚がありました。 普段は運動不足を嘆いている私ですが、まるで修験者のように登山道を足早に駆けている自分に驚きと共に笑いが込みあげてきました。

12046579_685041638299504_6061812575365381968_n山頂付近までたどり着くと、光が道先案内人のように射し、その光があまりに綺麗で招かれている様に感じられて、思わず写メを撮ると、綺麗な光の写真が撮れました。

御山全体がこんな感じなので、下山する時もなんら苦もなく予定時間より早く降りる事ができました。

・・・でも、問題はそこからで

宿泊予定もないまま、夕方に差し掛かる時間になり、宿泊先を探すと、シングル料金でデラックスルームに通され、早速の「御利益」を満喫していたのですが、その夜、38°の発熱。

訳が分かりませんでしたが、心当たりは「浄化」の二文字。しかも、見知らぬ土地で。

・・・まさに、侮るなかれの試練でした。

翌朝は、少し楽になっていたものの、御岩神社の圧倒的パワーにエネルギー調整をさせられたと感じての帰路と相成りました。


「本人の意識」が増幅される。 なるほど、参拝に思い立ったのは2度、当初はまさに鬼怒川の氾濫の時で、あえなく断念。

2度目のチャンスが秋分の日の前日・・・意味あるタイミング。だと感じ入りました。

熱は炎症が起こって発熱するもの、炎症は炎=怒りがあること、熱が出ると身体の節々が痛みますが、今回は登山の筋肉痛も伴い、体中が痛く、咽頭痛があったこと、喉の痛みは物事を実現していくうえで発することが出来ていないストレス。

blackswan実は、心当たりがあったのです。
それは長年に渡り、別々の複数の方から、都合良く歪曲した中傷をSNSに書き込みされたり、又、全くのデタラメな嘘を、ことある度にずっと流布され続け、思い悩んでおりました。

知らぬところで、事実とは異なる話が流れていることを、親切心(干渉)から複数の方々に事ある毎に忠告されること数年。

発信元は自身の怒りを、思い知れとばかり苦痛を味あわせることが狙いのようで、デタラメや都合良く曲げた話を、繰り返し、何度も、虚偽が周知の事実になるまで、飽きもせずずっと流すワケです。

こちらには寝耳に水でしたが、そうなると、笑うのも、涼しい顔をするのも先様には何もかもが気に入らない状態になるようで、最終的には、そうなる「きっかけ=誤解」も自身の思い込みによって塗り替えた物語にし、ずぶずぶと自身の感情に飲み込まれていく方々に向き合ってきました。

被害者意識を身に纏いながら、相手に罪意識を着せようとする方々や、自己防衛策を思案する自身を観て、人のエゴとは、随分と幼稚な行動を起こすものだと感じましたが

gf01a201306121500ほとほと困ったのは、エネルギーを感じる私の体質でした。 その方々の思念のエネルギーが事ある毎に私の右半身へ飛んでくるので重苦しくて堪りません。

そこで御岩神社へ詣でる前に何とかしたいと思い、長年信頼しているヒーラーに緊急でお願いをし、共に思念を抜く作業をして頂きました。

人の依存心は、人が自分から離れていく不安を慈悲や優しさで隠し、離れそうな時には、威圧的に「支配欲」を剥き出しに変貌するものです。

エネルギー的にはそういう方々の場合ハートから触覚の様なものが出ており、常にそのアンテナで人を撒き込もうとします。

ですので、常にターゲットの、一挙手一投足から目を離しません。行動のチェック、言動のチェック、ブログのチェック、HPのチェック、交友関係のチェックと、状況把握をし、自分との「比較」をせずにはいられないのです。

異常な依存心を持っている方々の人間関係には事あるごとにトラブルが付きものです。 その繰り返しに気づき、感情の処理を他人のせいにするのではなく、数々のトラブルから自分を知ろうと思わなければ、このタイプの場合、究極の経験をするまで気づかないことが多いようです。

異性関係においての独占欲的な依存=好き過ぎてもダメ、生理的に受け付けない対極=嫌い過ぎてもダメなのです。

依存の習慣性が人をダメにする理由は、自分に足りないものを、人に頼り、好きな人のエネルギーさえ自分のものにしようとするからです。

誤解を恐れずに言わせて頂ければ、その性をスピリチャルのリピート・ビジネスに取り入れ、無防備に心情を吐露するクライアントに対し、良心的な言葉で同情し⇒煽り⇒更に惨めな気持ち(自己否定)を持たせ⇒肯定の言葉で慰める。という「雑談カウンセリング」でクライアントの自立エネルギーを奪う、エネルギー・ヴァンパイアー的カウンセラーが溢れてきているのも事実です。

それも、すがる者の習慣性あってのことで「無くて七癖」知らぬは時とお金の浪費と感じますし、なにより、そのようなカウンセラーとの出会いは霊性を高めるどころか、気づきの遠回りをするリスクがあることも知っておいてもらいたいと思うのです。


話を私事に戻しますが、現実を創造し切り開いて行きたいと願いながら、長年、念によって悩まされると、思念が飛んできては祓い、憑かれては祓いを繰り返すうちに、無意識に邪魔をされているという相当な怒りが溜まっていきます。

ですがセラピストはその性で自身と向き合い、エネルギーの相互性と、その特徴をあらゆる面から拾い上げます。

そういった作業が当たり前になっている私にとって、自己責任を問いかけること数年、嘘の噂話や歪曲された物語に、事実無根の申し開きができる場があるわけでもなく、耳に入るだけの不快感と向き合い続けてきた訳ですが

緊急でヒーリング頂いた先生からは
「ヒーラーは自己と向き合う性がある、そうしやすものだから努力しようとするが、対する方々は支配欲が強いので、そういうやり方で人に罪意識を植え付けることが上手い。 もう既にこれは、あなたの責任ではない。」

その一言に、これまでのセラピストとしての性からくる重荷や、人としての長年の心の閊えが取れたのでした。

・・・そんなことがあった後の参拝、その夜の発熱。 熱にうかされながら

「もう、本当にどうでもいいことだ。」

脈打つ身体とは別に、頭や感覚はやけにハッキリしており、身体の中芯からは、もっと呆保になって、もっともっと感覚に素直に生きようという歓びが胸に広がるのでした。

lgf01a201401091400神社へ詣でる方の多くは、不健康な心と身体で、幸運だけにすがるように助けを求めようとします。 ほとんどの方は、それが神様と自身の関係性のように思われています。

でも、セラピストとして、心に傷を負った方々と多く触れ合っていると、自身の有りようの無さに基づく幸運を求める姿勢には、妙な「怖さ」を覚えるのです。

心身のリズムを整え、健やかに生き、心と向き合い、自分の奥にある気持ちを感じてみたり、自然の一部である自分達を見つめたりする、そんな日々のリズムを人は退屈だと勘違いしがちだと感じるのです。

けれど、何もないことがどんなに豊かな気持ちになれるか、舗装されていない山道を歩くと、自分が踏み出す一歩の足と、力と、汗と、その意志が、単純で単調なことのようで、けれど、精密な心身によって生み出され、生かされている「当たり前」の奇跡を感じるものでした。

初めの一歩の感動は、踏み出す勇気を持った者にしか味わえない。 大まかなことは達成の歓びと共にイメージして、あとは一歩一歩自分の歩幅で行くしかありません。

今回の参拝は、無意識にこびり付いた想いをバッサリと斬り捨てる、そんな、エネルギー調整を私にもたらしてくれました。

現在もエネルギー調整中ではありますが、神社には絵に描いた幸運を求めるのではなく、なにか踏ん切りをつけたい、なにか宣言したいと思い立った時に、訪れてみられるときっと勇気を頂けるかと思います。

 

【鬼退治終了編】 (爆笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です