子供に学ぶ「いろは」は準備

suitou_960_5-thumb-960xauto-5602転載【中塚翠涛 作】

書道などのお稽古ごとにはお手本があり、真似てみる、それが手習いの基本です。
墨をすることや、筆を立てて持つこと、字の大きさを揃えるため半紙に折り目をつけてみたり・・・「書く」に至るまでは「いろは」を試してみるといいものです。

私がスピリットに耳を傾けながら生きたい。と思い始めたのは、このうえなく「困った」状態にあった時のことです、助けを求め様々な師と出会い必要な「応え」を頂きました。 そうして、同じく助けを求めている方々に「教えたい」と思いブログを初めたある日、友人に感想を聞いたことがあります。

友人はバッサリ『なんか・・・偉そうなんだよね。』と、その一言が余韻となって今もココロに残っています。 当時のインパクトは響いたゆえにスピリットのサインだと直感的に思いました。

それから、師が本を出した時の話です
『説明が丁寧すぎても良くないんです、ギツギツになってしまう・・・緩みがないんですね。丁寧さがかえって混乱を招いてしまい読み手の思考を止めてしまうんですね。創造させないといけないんです。』

「余韻」の意味がわかった瞬間でした。

慮る(おもんばかる)ことで思考を停止させてしまっては本末転倒。 「慮る」とは「信頼できない」という裏の感情であり不安ゆえにコントロールしようとするココロ模様とも言えます。

正論に「そんな事は百も承知!」と反発したくなる感情は恐れを克服する道、また、書も何枚も書き損じたり、思った通り書けるよう修練するのは、ひとえに、自身を納め得る「納得」が欲しいからです。

子供の目で物事に触れるとき、すべてが学びで、すべてが答えとなる、それを「経験」と言います。
毎瞬が経験ならば『人生』ほど善き『師』はいないという気さえしてきます。 他人に『失敗』を笑われても、『それがどうした』 という人生=師が私にはついているという経験値を上げ人は安心したいのです。

ですから、少々辛辣なことを言えば、賢者と言われる方々の「教え」もサンプルであって「いろは」ではありません。 経験は人それぞれで異なり、当たり前ですが賢者の経験は万人向けではありません。

創造・閃きはアンテナがキャッチし現実創造をする方法を脳を使って行動に移します。
一足飛に上達したいときは「いろは」を省きたかりますが、「いろは」を覚えれば自己信頼は増し、その「いろは」をどう試すかは目の前の出来事に出くわした時に決めればよいという気持ちでいられます。 そう毎日に望めば、自分の人生は自分を決して裏切らないと感じるのです。

 

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