屈辱の文化

20150529k0000e040257000p_size8口永良部噴火で避難されている皆様に御見舞い申し上げます。

本当にいろいろな事が起こります、世界規模で。
現実的には気象兵器も使われ天候を操作することも成されていますし、これからは既存の宗教の崩壊が起きてくるでしょう、それに代わる宗教も出てくるでしょう、それがIS国のような軍隊の形態であってもなんら不思議ではないのです。

大人は都合の良いところしか観ないクセがあります。 例えば10年前、携帯電話が今のように普及しているとは思いもよらかったと思います。

そう考えれば、昭和に起きた戦争のように、徴兵による戦力がアナログで、デジタルはアタッシュケースの遠隔ボタンひと押しであることを考える方が賢明ではないでしょうか? だから、現首相は「徴兵はしない」と言えるのです。

戦争反対に躍起になり、シュプレヒコールに懸命になる前に、時を止めて漂う世論を見渡してみることです。B29を竹ヤリで落とそうと意地で頑張る時代のムードと、戦争反対のムードは、なんら変わっていないことにお気づきになるでしょう。そのムードを狙っていることに気を付けることです。
※IS国への出資勢力を調べれば、それ自体とその流れが壮大なヤラセであることが分かるでしょうから・・・。

現実面では、時代はすでに情報戦争に突入しています。 これからは情報を見極めて、メリット・デメリットも頭を柔軟にして対処する必要性があるかと思います。

意識面では、外の世界で起きている事件・事故を必要以上に不安に思わないことです、今に集中して下さい。 貴方には今しか存在していません、今・今・今の連続で生きているのですから、貴方の意識に過去も未来もありません、あるのは今だけです。

 

さて、今日は思考と理性、自我の所有と善悪についてのお話です(※長いですお付き合いください。)

68ca90ffa79c89982a7bccbb5418ea877514c7d8_254x191モニカ・ルインスキーさんを御存じでしょうか? 聞き覚えある方もおいででしょう。

クリントン、元米大統領と当時、不適切な関係を全世界にセンセーショナルに配信され世界中の注目を集めた事件の当事者です。

そのモニカさんが、沈黙を破りTEDに出演され「屈辱の文化」というテーマでスピーチされました。 経験から語られたお話しは、そのスピーチを聞いている者すべてに、現代人の「情報」に対する姿勢が問われいてる気がしました。

※モニカさんのTEDでのスピーチ内容は下記に残しますので、是非ご覧ください。

知らないから知ろうとする、知を理解し見極める力は自己の叡智に還る。

以前、同業者の個人ブログやSNSでバッシングを受けたことがあります。 個人的には自由に表現する場があっていいと思いますが、人の目に触れ、批判されることを十分承知していながら、作為的に、感情的に吐き捨てる言葉の羅列に驚き、戸惑いながらも、気持ちを害される誤解があったのなら申し訳ないと連絡を入れましたが、誤解は未だ解けてはおりません。

ご心情は理解できても、人がどういう判断をし、その後、どういう行動に移すかはご本人の習慣性によるところが大きいものです。

私達のいわゆる人間らしい思考は、誰かと自分を比較し、誰かと自分を競わせ、誰かと自分を争わせることを教えられ、結果、それぞれ闘い合うことで自我を崩壊させ、新たに自己を生み出します。そうして人としての進歩、魂の成長、文化、文明の進化を遂げて来ました。

自我の「嫌」に伴う心の拒絶の反応は「抑圧や我慢」、その抑圧や我慢を強いてきたのは誰なのでしょう? 誰でもなく、ご自身なのです。が、他者の何気ない一言が針先になり、抑圧や我慢で膨らました風船を割ってしまう(割らせてしまう)ことも往々にしてあるものです。

分かり合えないところからの始まり、これがコミュニケーションの根本です。

針先になった方もその破裂音に驚きますが、破裂音を怒りと捉えるならばそこまで怒りを抑圧してきたのもご自分であり、その破裂音=ショックは御自身への気づきを促すために自身が用意した出来事(=音)なのです。

ですが、感情ゲームに乗ると、衝動的に「仕返し」を考え、その行動も人それぞれで同じではないものですが、その自身の一挙手一投足を、どうコントロールするかは個人の「理性」に関わってくるものです。

スピリチャルのありがちな落とし穴は、現実と意識の両極を「ありのまま」とういう概念でくっつけるところにあります、基の「ありのまま」さえも概念ですから、既成概念を既成概念で打ち消していても堂々巡りなのです。(※言葉は本当に不自由です。

ずっと抑圧してきたことに気づき、これからは我がままに、ありのままで生きる。 心の可動範囲を広げる「感情の解放」が起こったとしても、これまで培ってきた知識と理性を無視してもいいという事では当然ありません。

現実的には、公の場で被害を楯に主張すれば主張するほど、鋭利な矛先で相手を突く加害者となっている、その心理的作用と出来事を経験したら「知性」で腑に落として頂きたいと感じます。

現実には裁かれることで被害者や加害者は存在するものの
意識では被害者も加害者も存在しません

また、これが子供のイジメに繋がる行為ならば、大人はルールを持ち出して子供達に「お互いを認め合いなさい」と指導するでしょう、しかし、大人同士が子供より劣る行為を目にしても、知り合いだから、お友達だからと、情で「いいね」をクリックする。

この「事なかれ主義」、また「自分はオーディエンスだから」という気楽さからの惰性的鈍感さにも、体現・言論の自由があるとはいえ、それこそ成熟した理性がそこに欲しいものです。

何を基に思考し意図するか、便利ツール・進歩的な道具はやはり使う人で様変わりするものだと痛感するワケです。

napier のスピリチャル・ライフの提唱は、深刻ではなくJOY・気楽を実践しようというものです。

そういいながらも、最近のスピリチャル界においても、そのカリスマ達の主義主張や言葉の捏ね繰り回しさえ、ビジネス的に他者との比較で差別化が図られているような気がして、なんだか満足を通り越してゲップまで出ます。

単に言い回しが「違う」だけのことを、自分にこそ答えがあるかのようにコントロールする上からの臭いがプンプンするのです。

「ひとつの球」を多角的な視点で見ている自由が私達に与えられているのに、「言葉」にすれば常識や差別や、時の人の意図が、もう一方で隔たりを作る、そういう現実を生む比較文章や言葉の羅列。

スピリチャルの話をこの世界に準えて表現すると、意図することから遠ざかりがっかりすることもしばしばで、しかし、それすらエゴ的発想だと気づくと、本来の「自由」をはき違えないこと・・・私達一人ひとりのエゴが問われている気がいたします。

相手との「言葉の違い」「理解の違い」「解釈の違い」つまり、考え方の違いを、殆どの方は感情反応で「文句・拒絶・異質」だと、頭で出す答えに、ほぼ無意識に身体が反応してしまう「習慣」が身に付いてしまっています。

その無自覚に反応してしまうクセを、少しでも感情的にならず対処したいとお感じになるなら、まことしやかに流れる情報や、信じて疑わない常識さえも、誰の判断もなく、なんの混じりっ気もなく、自分の知識と経験で見つめ理性で整理してみることが大事なのではないかと思うのです。

<屈辱を受けて分かることは沢山あります。屈辱を受けたから仕返しをするという短絡的な感情反応で処理せず、時にはご自分の感受性と理性とを向き合わせてみる。 基本、良し悪しなど、とうに私達は知っているのですから。 基本になる正しい人・憧れの人・カリスマなどという人は、本来いません。 基本になる悪い人・軽蔑する人・凡人などという人も、本来いません。 全て自分に好き嫌いがあるだけですから、その隔たりを知ることが感性を含めた知性に繋がると思うのです。 皆さんはどうお考えになりますか?


モニカ・ルインスキーさんTED出演「屈辱の文化」 ⇒ http://digitalcast.jp/v/22128/ (日本語字幕動画)

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【モニカさんの訴え】
「残酷なスポーツを観て楽しむように、公然と侮辱するのは止めるべき」だとモニカ・ルインスキーは訴えます。
1998年当時、個人的な信用を世界的な規模でほぼ一瞬のうちに失ったのは、彼女が初めてだったのです。
彼女が経験したように、ネットで屈辱的な情報を晒されることは、今では日常的な出来事になりました。
彼女は、勇気を出してネットにおける「屈辱の文化」を考察し、それとは別の道が必要だと訴えます。

 


napier は 『 経験こそ答え 』 と申し上げています。

答えはあるけれど同じ答えではありません。
それは一人ひとりの感覚で得られること
だから 答えはあるけれど、答えは無いのです。

私は、そう思います。

 

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