悪口について思うこと。①

「気分をもっと楽な方向へもっていきなさい。」とメッセージがくる・・・

しばらくブログもあまり力まずラフなものにしたいので
失礼なこともベラベラするかも・・・ついてこれる人だけ、どうぞ^^

で今日始めた、・・・情報の断捨離。

以前、ファッション雑誌の定期購読をしていたが
知りたいことより広告ページの多さにうんざりして止めたことがあった

今のSNSや、ネットの情報も同様で、午前中かけて一掃した。

もう外からの情報はお腹いっぱい。と、内からのインナーネットに接続した感がある^^

集合意識自体が八方塞がりで行き場を失ってる気がしてならない。

持論だが、大人は 思春期をこじらて大きくなった人間。と認識している

だから、自分が思春期の時と比べて、たいして大人の意識が成熟しているとは思わなかったし
(といっても関わるのは学校の先生ぐらいなもので)

人に流れる意識時間は、時計の針よりそう速くはないのだとも思った。

その意識が象られた現実も、振りかざす正しさも、撲滅すべき悪も幻想・幻覚・幻影でモロく柔らかいとも感じている

ただ、不安や恐怖からくる縛りだけが人を頑なにして堅物になってしまったのだ

一人が泣き言を言えば、自分の立ち位置が分かり得られる安心感が唯一の自己肯定につながる社会

そんな、眈々としたこの世にうんざりしたら、人は深呼吸できる場所を求めたくなるものだ

人によっては異性であったり、親であったり、子供であったり、ギャンブルであったり、買い物であったり、酒場であったり

でも、場所ぢゃないんだよね。

言ノ葉
自分の深呼吸はいまここで出来る。

外に見つける必要なんていらなくて、あなたの存在がなければ、どうにもなりませんって話。

あなたの存在を認めて自覚さえすれば、深いため息がつけるようになる。

その自覚っていうのも
人から「よく出来ました」を貰って得られる自覚じゃなくて
あなたの快か不快か、生命の最低限レベルの自覚で十分

他は要らない。

快か不快かの感覚は誰かに教わったものではないし
人体に標準装備されていてオプションでつけたものでもない。

つまり、日常で気づきにくいものほど天意と直結している重要な生命線。

だから生命力に、この世の頭の良し悪しは、ま~ったく関係ない。

地球の「陰陽の法則」は、そもそも快と不快から始まった

そこに社会が決めたルールというバイアスが張られ
個人の自由が、集団の不自由になって、仕掛けた人間がドツボにはまった笑い話

けど結構、笑えないんだなコレが、、、

この「二極の幻想」を知らないで 自分を好きになれない人が大勢いる

そんな真っ只中な人に、何をどう言っても救いにならない時期があるものだ。

現実が幻想なら、その檻でみる夢から覚めたいと、寝ても覚めても問題意識に取り組んだりしてる

人ってどうしても「私」という実感が欲しい生き物かもしれないと感じる(ヤヤコシヤーー;)

「もっと気分を楽な方向へもっていきなさい。」

動画のような親子のよう感覚を楽しもうと思えば今からでも直ぐ出来るのだけれど
気分優先でいることが大事だと教えてくれる人がいなかった。

だから、ZERO.=天意は笑っていられる方法をいつもメッセージで教えてくれてる
私だけじゃなくて、あなたにも^^

つづく

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