本来、空間は濃密なのです。

futuristic background design illustrationこの世は「ウツシロ」とよく言いますが

映し出すこの世=ウツシロの 『ロ』とは カタカムナ文明では「空っぽ」って意味らしいです・・・。

何にもないZERO世界ってこと。

つまり、『現実は空っぽ=無・空・ZERO 』で、私達がリアルに生きていると思っている現実は幻影であり、地球の時空間というスクリーンあってこそ、現実を現実たらしめる世界ということになるのです。
(※無・空・ZERO=「ない」という意味では厳密に言うと違う気がしますが、そのことはまた別の機会に・・・)

そして私達が時空間という条件が整った時にのみ、『現実』という題名の意味を見つけ出すアドベンチャー映画が、時空間スクリーンに描き出されると、想像して観て下さい!

そうすると、なんとなく、私達が肉の塊というより、幻影的な「フィルムの重なり」という表現がフィットするのです。

現実こそリアルと思うも、意識こそリアルと思うも、それぞれに委ねられている現在。 それに1つの答えを出すことは、思考だらけの現代人によって不都合なことばかりですから、そこは自由でいいと思います。

そのうえで考えて見て欲しいのですが、人が現実に押し潰されそうになる時など、特に、外ではなく、身の内に問いかけるスタンスを誰から教わった訳でなく、いつも、いつの世も、変わらないこの人の「性」とは何なのでしょうか?

そうみれば、内に問いかけることこそ『ウツシロ』を創り出す原点と、言わずもがな、人は本能レベルで、また、DNAレベルで知っているんでしょうね!と、私はニヤけてしまうのです。

皆さんはどうお感じになりますか?

 

 

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