無・関心=孤高の自立

日本で「宗教戦争」がなぜ起きないのか?ある現役僧侶のスピーチが話題に

世界でも珍しい日本の寛容な宗教観が世界中で今高く評価されているという事です。

以前にも紹介した気がするのですが、御紹介します。

宗教を食で表現するところは分かりやすくて聞いている人を笑顔にします。

また尼崎市に「8時だよ神様・仏様」というFM番組があった話は爆笑してしまいました。

宗教家もいわば職業、現代風に異業種交流という微笑ましい緩さがあっても現代に違和感はないと思います。

是非、ご覧になってみてください。

さて、その一方、「嫌われる勇気」なる本が流行っているのだとか・・・。嫌われることを狙って出す書籍代。時代はここまで来たのかというタイトルのような気さえします。

人との「違い」をダイレクトに「嫌い」にしてしまう時代ですが、私個人は「嘘八百」が嫌いですし、噂話も、あまり良い気分がしないので、端から聞き入れません。

実質、人との会話はある事実を、個人の大いなる主観で包んで話されています。

このことを知っている方は、おそらく謙虚に誠実に相手とコミュニケーションを取るでしょうし、実質に気づかない方の会話は、ほぼ感情論で終わってしまう内容の違いがあり、「私だったら・・・」耐えられない、悲しい、怖い、寂しい、笑える。言ってみると、一喜一憂ゲームを楽しんでいる状態にあります。

話に出てくる、あの人、この人はその「一時」を切り抜いたインパクトでしかありません。

その人が、ずっとそういう人かと言えば、その後の体験で別人になっていることもあるでしょうし、甲斐なく、そのままの方だったということもあり得ます。 しかし、「話」は、その時が凍結しているだけ、すべて過ぎた点・時に内包された、時のインパクト(人・出来事)でしかありません。

いわば、その時を捕まえた会話は、全て感情1点に執着して枝葉を付ける様に創り出した、メルヘンかサスペンスかギャグかサイコかであるかだけ、幻の映画です。

ですから、個人主観の入った話の登場人物はそのキャラクターを、その時に演じているだけで、今・ここの善悪では存在していません。

※なぜそういう視点で話を聞けなくなったのかというと童話やTV番組のヒーローものの視点が、私達の正義という価値基準を固定してしまったからです。

心理の話をすれば、陰口やキレやすい人は、好きだから憎しみ、羨ましいから嫉妬する心に気づいてないのです。すべては自分の主観・価値観で現実を創り出す世界ですから。

無自覚は、エネルギー的に自分にないものを他人に強請る(ねだる)か、反発するかで感情を解消しようとする裏が働くのです。いわゆる「エネルギー・ヴァンパイア」と呼ばれる、人の感情を翻弄しエネルギーを吸い尽くすドラキュラの姿に変えてしまうのです。(※コダワリや依存や執着という言い方になりますが)

連絡がないと落ち着かない、人と話していなければ安心しない、流行に敏感でなければ、スケジュールが埋らないと不安、誘われなければ取り残された気がする、なにか楽しい企画を皆で・・・他者と一緒の行動、選択、思考であることへの安心。

何を基準にするかの違いこそあれ、これらの裏にはほぼ「依存・自立」というテーマが隠されています。

行動面が極に働けば、反対に精神面の極も際立つものです。

制限という決めた視点ではなく、制限の中に柔軟さを加えてみることも一つです。その柔軟さとは「みんな違っていい」という割り切り、人の自由を認める無・関心、精神的には孤高の自立とも言えます。

過去でいえば、そこに執着するのではなく、その点は過ぎた「時」。 今・ここにあって、その点にいた人物や出来事をスルーしても、なんら問題ありません。

また、人間関係で義理や恩を売り買いする必要もありません。してもらったことは、今、周りにしてあげることでエネルギー循環がなされています、それでOK、それが「宇宙のバランス」です。

恩返ししようとか、修復しようとか、好きになってもらおうなどと考えなくても全くもって大丈夫です。なぜなら、その想いこそ「執着」というプログラミングだからです、常識こそ疑ってかかってください。

時は直線ではなく、点として存在しているパラレルワールドであり、インパクトある楔(くさび)を打った点・時でしか過ぎないのですから

あなたがいる「今・ここ」とは、その楔(くさび)とは全く違う次元にあります。そして、私達はそれぞれが「今・ここ」を生きています。

そこに気づけば、和尚も安心感を与えるのが宗教とおっしゃっておりましたが、絶対の安心を点として体験すること、しかし、点に囚われず、それら全てに委ねられるように、一度、当たり前のようにある常識を子供に戻って疑ってかかってみると、常識という制限に柔軟性が増すと思います。

そうすることで、現実に否定され続けた魂が強い自己肯定感を取り戻し、本来の安定した自分に還ることができる。と、私はそう感じています。

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