生を楽しむ余裕ありますか?

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夏目漱石「草枕」の中に

智に働けば角が 立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。という一説があります

「世知辛いなぁ~。」と感じるとき 気持ちが晴れない心の奥を覗くためにするのが瞑想^^

きっとこれを読んでいる方には、瞑想する時間がない 瞑想の仕方が良くわからない とおっしゃる方もおいででしょう。

座禅を組んだり時間をやりくりしてする瞑想を連想するかもしれませんが、私はもっとLight に生活に取り入れています。

ホッと一息ついた時に、ご飯を食べ終わった後に、コーヒーを飲みながらボーッと、、、そんな隙間時間が瞑想タイム。

ずっと内観していくと、Idea がわんさと出てきますが、その Idea に気づく、それが大事です。

こんなことを考えているな~ 私
この後のことで頭がいっぱいだな~ 私
夕飯のメニューを考えてるな~ 私

止めどもなく湧いてくる「私」の Idea に「気づく」

そして、次の瞬間、別の Idea が湧いてきては 前の Idea を消して、、、湧いてくる Idea には意味も深刻さもないことにも気づく・・・

そうしていると「私」という存在も実は Idea なんじゃ・・・という疑念が・・・そう、それ YES です^^

「気づき」の視点で すべてのLIFEを内照していきます。

湧いてくることは、人間社会をサバイバルするうえで必要とするPractice習慣・Identity個性人格・Idea閃き・Episode物語であり、その一般常識の価値基準をベースに湧いてくる mind 感情 情緒 もミックスされています。

私達はその Idea に没頭し過ぎて、湧いてくる mind が自分であり、それを根拠に mind を同一視するあまり、私と相手といった具合に分ける感覚を身に着けました。

頭の中の答えに mind は・・・

こうした方が良い。    (良不良 不安安心)
こうすべきだ。      (善悪 迷い確信)
こうしたら間違わない。  (正誤 自信不信)
もっとこうあるべきだ。  (好悪 希望絶望)
これを知らないのは恥だ。 (是非 完全不完全)

mindは動かずにはいられませんが、これらの動きに同化し翻弄されると、Feeling に対する Ecstasy が鈍感になり、呼吸が浅く視野が狭くなってしまいます。(※エネルギーの滞りを起こしたりします)

気づきを観る瞑想は、”今”に新鮮な空気を送ります。

あたかも問題と答えがあり傾向と対策を考える習慣についハマってしまっていたり
他人の視線を気にする”御身可愛さ”が、向き合うテーマを引っ込めてしまったり
長年の悩みが「絶対こうだ!」と思い込みからきているだけなのに、その絶対!が無くなると「自分を見失う」恐怖から、単に口実にしてしまっていた・・・ など、気づきの瞑想によって明らかになることもあります。

抑圧された思いたちに気づかない限り、mind の奴隷になるということです。

それはある意味思考の催眠状態にいるのと同じです。


数多ある世の中に溢れているIdeaに気づく、ここでいう 瞑想は Awareness 気づき そのものです^^

もし、瞑想チックな事柄に苦手意識があるなら、根底に自分の変容を恐れる貴方がいるからかもしれません

初めから考え直すこと、立て直すことを億劫がり、大人っぽくそんな時間も暇もお金もないと、古い習慣・古い観念・古い自分が崩壊して、新風が自分の中を駆け抜けることを怖がっているからかもしれません。

人はエネルギーの切り替わりのタイミングで風邪をひいたりします、それは新風が吹き抜けたからかもしれませんし、また、地域的・集団的な出来事、例えば天災によって一人ひとりの在り方を考え直させられることも、ここ数年の現実で多発しました。

そこから生じる「無力感」は、子供の頃は親に、学生の時は学校や先生に、大人になってからは社会に、そうして誰もがどこかで味わっている「無力感」という mind は私達をそこに居続けるように指図します。

思い通りにならない、コントロール出来ないことが多くなれば、その反動で個人の「 ego のルール」を優先するようになり、極端なことが起きなければ、現代人は幸せのボルテージを思考でコントロールできるとまで錯覚してしまっています。

”いつもと同じく” 生きよう・暮らそう・私らしく在ろうと、プラスに働くことを増やすことばかり

それらを守り減らすことのないよう必死になっても、 ベースにある生きる力・senseは失われ “Nonsense”  になり、遅かれ早かれ ±0 にバランスする必要性を感じて意識探究するようになるでしょう。

言い換えれば、私にとってプラスになることを収集して彷徨う「自分探し」を死ぬまでするようになるでしょう。

探究は夢中になればなるほど ストイック(深刻)さもまた増します、その精神性が新たな苦しみの種になることも、もうお気づきですね^^


人生は深刻には進めません。

軽やかさは、明らかに極める=あきらめ。がなければ一歩も動けないまま、大人は面倒なことを拒み、自分の動きに制限を掛けることが得意になります、難しく考え出来ないがゆえに、集めたものを手放したくないのです。

これでは全てに重みを持ち息苦しく、”生” が生きるための奴隷のように感じられるもの

そういう生き方も個人に委ねられるものですが、生とは、実に生々しい・艶(生)めかしいものです。

生々しいから新鮮なのです。

生々しさ新鮮さは決して、あの頃は若かったと振り返るものではなく、同じような Episode が起きても 常に新鮮な ”今” 湧いて生まれた 新たな今の経験の連続性を言います。

今は常に、新しい、新しい、新しい経験 今、今、今の経験でしかありません。

しかし、今の社会は比較・競争・闘争・破壊を基盤にして、見守ることを教えてはきませんでした。

ですから、底の底の奥底のベースとなっている空・ZEROがずっと見守り続けていることには気づけません。

人の許しがたい ego も 空・ZERO に Idea として散らばっており 人も空・ZEROと一体でIdea=天意(あい)として表現するチャンスを与えられている、しかも常にです。

生々しく艶めかしく生きるのは私達というEnergyの業 湧き起る Idea の欠片は表現するまで消えません^^

やっちゃえ。ALL OK!! それを、断罪しているのも私達自身の Idea ・表現

空・ZERO・私達 は、どちらともない無条件の愛そのもの

天意=あい= Idea であり 始まりも終わりもない Energy 永遠です。

そうあることだけ 起こったことだけが永遠 無条件の愛 どこまでもどこまでも全て許されている

・・・私達には 触れることが出来ないもうひとつの現実があります。

どう生きることを選択しても、すべてあるがままに許されているもうひとつの私達の世界があります。

そんな風にあらゆる可能性を受け入れる姿勢をもち、自身を明らかにしていく勇気をちょ~っと持つだけで

これからの生を楽しむ余裕に繋がるのではないでしょうか?

ZEROはいつもそんな風に語りかけてきます^^


【お知らせ】

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2017年・春 ZEROリトリート合宿を企画中です。

ZEROセミナーを学んだ方を対象にしていますが、ZEROを知りたい方も歓迎いたします。

1泊2日での合宿で濃密なZERO世界を丸2日かけてFUJIKO. の体感を、まずは理解から注入していただければと思っています。

詳細はのちほど こちらでUPせて頂きますので、お楽しみに^^!

 

 

 

 

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