粘土は粘土

3なんでもアリのこの世です、なんでも創造して下さい。

今、あなたが満ち足りていて豊かだったら

今、大好きな食べ物がポンと目の前に現れたら

今、過去の縄文時代へタイムスリップしてしまったら

恐れず、ひるまず、思う存分、現実を外して下さい。

思考は子供の頃から大人になった現在までの教えを忠実に守り、コントロールの入った教えの再現フィルムを何度も何度も放映しているだけです。
その思考・意志・精神を構築し常識の檻から本当の私達が求める自由創造の世界へ一歩も出そうとはしません。

意識が眠ったままでは、コントロールされていることにも気づけない私達ですが、自分で自分の人生をデザインすることはシンプルで、実は、あなたが創造できることは既に達成出来ることです。
この物理次元(地球)では直線軸の時間ルールがあると思わせられていて時間が掛っていると思いこい込んでいますが、実際は、ランチにパスタを食べたいと思えばパスタランチを堪能するのと同じくらい簡単なことなのです。

しかし、ランチは想像し現実化できるのに、希望とか夢とか目標が大きくなると、そうは簡単じゃないと(思考のストッパーを自動反応させ)自身が、時間という概念を逆に利用して、創造性を薄れさせ、自信を無くし、さらには創造することさえも止めてしまうマインドを取り入れてしまっているのです。

昨夜、口をついて何度も出てきたメッセージは「粘土」で、思わず笑ってしまったのですが・・・。

何度も口をつく言葉で教えられる事が多いのですが、つまり「粘土をいくら捏ね繰りまわして色々な形をつくっても、粘土は粘土」それは、思考・意志・精神・感情も同じということです。

嬉しさをいくら捏ね繰りまわして色々な嬉しさを説明しても、感情は感情。

喜怒哀楽が人間らしいと思っているのもコントロールです。
喜怒哀楽すら刺激でしかありません。

私達は人間ではありません、フォトンの迸り(ほとばしり)を映す意識です。

人間として在るように外界からコントロールされ人間ゲームを楽しんでいるに過ぎません。
その人間ゲームの中で持たせられているアイティムとして感情の喜怒哀楽があるだけです。(ニュアンス伝わりますでしょうか?)

そのアイティムは使えば使うほど、人間というキャラクターを強めますが至福や安心からは遠ざかるものです。

このコラムを観ている方々には、いずれタイムラグがあってもこの意味が伝わります。
なぜなら、無意識を今ここで意識できたのですから。これが意識の引き上げです、底上げです。

人間ゲームにハマっていてまだゲームを楽しみたいのであれば、どうぞ自由に楽しんで下さい。
ハラハラドキドキはもう味わったので、次の至福の段階へ移行したい方は何かものを観る時に意図して下さい

「どんな形に変化しても、粘土は粘土」
=どんな喜怒哀楽も、人間ゲームを楽しむ刺激(感情)、至福とは違います。

4 件のコメント

  1. junko より:

    フォトンの迸り フォトンとは どんな意味でしょうか?いつも たのしく そして刺激的に 読ませてもらっています。ありがとう。

    1. fujico より:

      junko様
      「フォトンの迸り」う~ん、それなんですよね言葉でいうのは難しい。私には「ピンッ」と漫画でいう人の思いつきも光(フォトン)で見えるんです。そして、その人にとって執着していた不要な思いがその人から離れるとき、私の目が飛蚊症の様に黒い蚊か時に蜂の様にその人からその時の状態のスピードで離れていくのが見えます。それらは、いろいろな師に出逢って総合的にお聞きしたことで分かったのですが「エネルギー」というなの思念であったり、想いであったり、執着であったり、憑依霊であったり、といういろいろなものの様です。しかし、可視光線範囲しか見えない私達の視覚には見えないものとして認識してしまいました。(でも皆さん認識していないだけなんですよ)私の場合はピカっと光る光ですので「光の迸り」と表現しました。 人によっては人型(霊)だったり、言葉だったり、音楽だったり、五感で認識するそのどれかという事になると思います。

  2. 酔っ払い より:

    そーですねぇ。もう、人間ゲームは十分堪能した気がします。
    でもまだ何か足りない気がします。
    大金持ちになって高級車を乗り回すこと?世界の大企業を傘下に治めること?美女を連れて、美味しい酒を飲みまわること?
    僕たちって全然満足してないのかなぁ…。
    この身で体験するために生まれてきたのなら、飽きるまで欲望の限りを尽くすことがベストなのでしょうか?
    全てを受け入れて分かった振りをしてみようとしても、どこかで腹の虫が騒いでます。
    これが、エゴでしょうか!!
    人間ゲームをとことんやりきって、未練が残らない段階になって初めて、悟れるのでしょうか?(ほんとに酔ってます:笑)

    確かに僕たちは粘土の気がします。
    命のほとばしりを体感するフィールド、そこに展開する自由な意思とその創造物。粘土を演じてきた嘆き、粘土であることに気付いた時の驚き、粘土であることの歓喜。粘土である自由をもう一度きれいな歌で聞きたいなぁ。

    1. fujico より:

      酔っ払い様
      何か足りないという「慣れ」というか「習慣」の様な気がします。
      虫歯になるから歯を磨きましょうと言われ、虫歯になって痛い思いをするのを経験すると朝昼晩の歯磨きが習慣になるように、しかし、人間は痛みも快感になってしまうんもんなんですね。
      ですから、突き抜けた恐怖が必要なんだと思います。「怖い」という感覚も本来味わうべきもので、それを善し悪しで考えると防御するものになってしまう価値観がありますが、価値観抜きで考えると「怖い」を味わいつくしてこそ習慣・慣れ・クセ・普通といわれる様なものに気づくのをレベル1のゲームとするなら、レベル2はコントロールからの脱出ステージになるような気がいたします。 
      いくら捏ね繰りまわしても粘土(感情)は粘土(感情)。感情ゲームはきりがないということですね。

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