自分ルール=カルマとは

カルマとは「抱えきれない思い込みによる行い」のことです。

仏法でいう本来の意味のカルマはほんのわずかにしか過ぎず、
私達がカルマと感じているものの多くは、
生まれてからこの世界の裁きのルールによってパターン化された
思い込みにより出来上がったものが大半を占めます。

例えば「お前のかあさん出ベソ」と、からかわれたとしましょう。

「出ベソ」はからかったのですが、気に障る→馬鹿にされた→怒るor泣く→許さない。
と反応から感情、感情から思考、思考から行動、つまり原因と結果を頭は組み立てます。

ここでは、その原因と結果の積み重ねで出来た思い込みの繰り返しが思考の習慣になります
その思い込みによる思考の習慣からくる行い(意識的・無意識も含め)を
カルマ=「自分ルール」と具体的に連想しやすく呼ぶことにしました。

生きづらさを感じるとき、人はどうしても周りのせいにしてしまいがちなものですが、
つらくなる要素のほとんどが、実は「自分ルール」からくる葛藤によるものです。
自分ルール=カルマ その悩みのパターンは

・自分に自信がない
・他人と関わることが苦手
・家族との関係が上手くいかない
・異性との関係性にいつも問題が生じる
・性に対して抵抗がある
・お金に関してのトラブルや問題点が多い
・仕事がうまくいかない
・結果が出せない
・将来が不安である
・体調不良が続いている
・幼少期・思春期のトラウマから未だに解放されない
・精神面において情緒不安定である
・無気力で向上心がない
・何をやっても長続きしない
・自分のことがよく分からない
・生きていることが苦しい・・・

どんな人の心にもある仕舞い切れなくなった気持ちを
人は相手や物など、相対するものに自分を重ねていることに気づいてはいません。

例えば、ニュースやワイドショーで話題のエンタメや悲惨な事件・事故が
繰り返し流されるのを見ていると気分がモヤモヤしたりしませんか?

TV番組は英語にするとTelevision Program. 制作側が大衆に積極的・意図的な
働きかけるプログラムで、意識的に集団無意識を誘導する企画がなされています。

心はリラックスしたいのですが、頭は外から入る情報を思考し制限をかけます、
モラルは正誤・善悪・優劣・可否を求め、あなたはモラルと「自分ルール」を
照らし合せる判断疲労を日常的に繰り返していることになります。

大人になると、自分ルールは習慣化した「無くて七癖」といった
オートマチックな無意識の行動=性格となるわけです。

例えその意識的な癖に気づいても、長年の習慣で無意識な行動を起こす=行い
になったもは、時に様々な依存症になり、意識的に解消に取り組む姿勢が必要
になる場合もあります。

自分ルールには常に正しさや常識から外れないように身に着けた、
偽善、保身、現実逃避、自己否定、自己卑下、傲慢、無気力、
被害者意識、悲観妄想・・・これらの下地があってのこと。

それぞれに自分を重ねていることに気づいていない人々の中で、
他人の正しさや、常識に傷つけられることもあります、自信を失ったり、
人を否定したりして、バランスを失っていく一方

それぞれに自分を重ねていることに気づいた者達によって、
バランスを取り戻されるように計られている、
まさに捨てる神あれば救う神ありの大いなる二極のバランス世界が存在しています。

いずれにしても私達は、
周りとの関わりのなかで自分ルールに気づいていくのが定めのようです。

心が病むのは、自己表現をためらい、無意識に他人の目や常識を優先することで
起こる自己とのコミュニケーションの不足からきます。

社会ではコミュニケーションを嫌な思いを回避する処世術と勘違いしている方も
たまに見受けられますが、本来は無理のない心で語り、
互いに受け入れ合うエネルギーの交流がコミュニケーションです。

そんな無理のない自分でいられたら、
自分ルールを押しつけ合う繋がりさえ不必要に思いませんか?

自分ルールの解消は自分のためでありながら、それに取り組む姿勢が定着していけば、
社会も地球も自然に成熟度を増していくことになります

自分で定めたポリシーをもとに、人生を自らの意志と行動で歩む生き方には変わりはありませんが
見極めていく姿勢にこそ、自分ルールを解消できる秘訣があることは確かです。

生きることに正誤は存在しません、しかし哀しいかな、正誤によって裁きたがるのが人でもあります

ゆえに、それに気づいた人から 制限だらけの世界で意識の境をボーダーレスにすることが
ジレンマを外し、自分ルールを捉えなおす秘訣だといえるのです。

 


ご自身の自分ルールを詳しく知りたいと思われる方へ