自力より空間に委ねる愛が勝る

tu_03体調を崩しまして寝込むこと数日・・・。
久しぶりに点けたTVが眩しいやら、五月蠅いやら・・・まぁ世間とは騒がしいものだと痛感しつつ、余計な情報は入れないに越したことはないと感じました。

体調不良は無理からくるストレスを自覚させるために体の症状として教えてくれます。発病した時は肉体と心への負担に「ご苦労様、いつもありがとう。」と労わり、ストレスを軽減するためにすみやかに休養を取るようにしましょう。

痛みや病気にまでなってサインを出してくれた身体に対して嫌うのではなく、自分だけは理解をもって労わってあげて下さい。

また、投薬で早めに治そうとするとストレス(本音)に気づくことなく余計に自力で頑張ってしまうもの、サインを自分なりに理解することも大事だと感じます。

今回、随分前からサインを出していた指・手の関節痛に加え、左太ももの底苦しい鈍痛に、腰から尾てい骨にかけての痛みがあり、主に第3チャクラ(腹部)から下の不調は四元素で言うところの「水」=感情の要素に問題を訴えた私の身体ですが、それこそ、ここ最近「自力」で仕事を頑張った時期が続いたタイムリーな疲れのサインだったことに、改めて身体の有り難みを感じたのは言うまでもありません。

B026

※左半身の痛みにはオーラソーマのB26エーテルレスキューが癒してくれることで有名、人体のエーテル体がショックによってズレてしまった時に効果的に働いてくれます。 これまで幾度か利用した事がありますがショックアブソーバーという名の通り強烈なショックを癒してくれます。(私の場合、B26を使用中、過食気味になる傾向があります、人それぞれですのでそれぞれの症状や傾向も楽しんで利用してみてください)

人間意識からの解放の作業は、簡単に言い換えると感情を冷静に観ることに尽きます。

そのプロセスを体験する歓びを味わっている最中の体調不良は、人生を謳歌しようと覚悟する一方で、覚悟を見極めるかのような根底にある一種の「恐れ」が浮き彫りになりました。

太ももは過去世レベルからくるカルマが出る部位で、311の時には地震と津波の映像がリンクする過去世までさかのぼり微熱、痛み、下痢などの症状に出て都内の先生に緊急でヒーリングをして頂いたほど酷い状態でした。

伏せっている時は気づけないものですが、今回も同じパターンだったと気づいたことで、身の内にある一種の「恐れ」の解放だったこと、それを味わえたことへ安堵と全てのタイミングの良さに感謝が湧いてきます。

先日の観念のリリース・夜カフェにいらした方から「自分から出るセリフはすべて自己紹介しているようなものだと気づいたんです」とお話しがありました。(※夜CAFE・ファイナル、雪の中たくさんのご参加、本当にありがとうございました。)

本当にその通り、自分から発せられる言葉は丸ごと全部、ご自分が採用している観念です。

善きことも悪しきことも誰にでもなく、自分の人生で起こったこと、自分が味わいたかったこと以外起きません。ですから言葉もそうです、この世はすべてご自身が採用している波動で全ては起こります。

そして、感情の喜怒哀楽という楽しみまで含めた波動は実は荒々しく、至福や愛とは全く異なる波動です。

人が感情に呑みこまれる時、ほとんどの方は意識と肉体・心・思考が一心同体だと「勘違い」しています。
その感情を身に着けている人間の波動は見えない空気中の波動(ZERO)より荒々しく、逆に、空間に漂う波動の方が静かで、細やかで、繊細で、至福であり、物体よりも豊かな愛に溢れています。

人間味を帯びた喜怒哀楽は味わいあるもので、人はその中に「愛」を探しますが、探している「愛」は単なる「刺激」による喜びで、すぐに消え去ってしまうもの。 刺激に溺れることと感情に呑まれることは同一状態のことである場合が多いのです。

「感情」は自己を知るためのチャンスであり「サイン」。
感情を共有したいと願う気持ちは表面的には荒い波動の刺激で、互いに共有したいと欲しているのは、やはり欲している方の期待だと気づいていただければと思います。その自我の欲求(エゴ)を見る必要があり、感謝する必要があり、愛する必要があります。個人で認めるだけでいいのです勝手な期待で他人様を巻き込むなかれです。

もし、具体的に理解したいのであれば「鏡」をご用意ください。

自分の泣き顔、笑い顔、悲しい顔、怒った顔・・・自分の喜怒哀楽が一番浮き彫りになる「顏」を鏡に映す時、鏡に映る目をジッとご覧下さい。すると、もう一人の自分の冷静な意識を感じることが出来るでしょう。

鏡の前で泣き叫ぶ、あるいは、馬鹿笑いしているそんな自分をジッと物言わず観ている自分に気づくはずです。

それが本当のあなたです。

喜怒哀楽という刺激や価値さえも、そこのあなたには響きません。

そこには意味は無く、ただ居る。
ただ在るだけの存在ですから、喜怒哀楽の刺激を楽しむ者にとって「在る愛」では物足りないのです、刺激に慣れた現代人は優しい言葉をかけ、一時の愛撫で慰められた気になり、溺れる者のように愛を貪りたくなるのです。

貪ることも悪いことではありません、それすらも鏡として、自分がそういうタイミングで用意した、そういう鏡(人)が現れ、誰でなく自分を映し出してくれるのです。

それすら創造し出現させて味あわせてくれる愛に委ねてみてください。

愛だと思っていた刺激に慣れきった現代では、空気のように漂う愛には気づきづらいものですが、寝込んでみるとクリアに観えてくるものがあります。

これも見過ごしていた愛ですね、感謝です。

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