言ノ葉 ~無意識~

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大人でも子供でも「分かったかな?」と言われて「分かりません」とは言いにくいもの

勘のいい子は、その否定の匂いに敏感で悪いことの様な気がするみたい。

学校で、理解できている子と、そうでない子を区別するとき

先生は「分かったかな?」と手を挙げさせるものだけど

それも、分からないことが恥ずかしいことのように感じちゃう気がするんだよね。

「頑張れ」と言われると、プレッシャーを感じて思うように力が発揮できないように

「分けられている」と感じる瞬間

人は、ちゃんとしてるかを確認されていると無意識に反応するようで

学校はどんな時もそれだから、ウンザリしてやる気が起きない

コレ子供の言い訳じゃなくてホントの話。

宇宙は何も分けていないのに、人の意識がいつも確認したがる、分けたがる。

理解も人それぞれなのに ホワイトカラーでまとめにかかる社会

と言いながら 今

私も 理屈を捏ねては 話で人を分けているのです。

みんなそれをしています。

感じることが自由だったら 言葉を思いのほか厄介だと感じることも少ないはず

そう思ったら 自分を信じてみることに挑戦する時が巡っているのかもしれません

疑ってかかってみることも、さほど悪いことでもないのです。

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