言葉に頼り過ぎない。

lgf01a201402192300胸にチクッとする言葉

胸に刺さる言葉

胸をえぐるような言葉

そんな言葉があります。

そんな言葉で私達の心は いとも簡単に反応します。

意味づけによる反応ですが、より本質的なことを申し上げると、私達が生きることにさほどの意味はありません。(誤解を恐れずに言わせてもらえば・・・)

例えば、ガニ股、O脚では恥ずかしい、スープをすすってはいけない、スプーンを使わないとみっともない、方言は笑われる、スミマセンの一言がスマートだ・・・ただ歩く、食べる、話すなど

「生きる」ことさえ、そうやって社会に配慮しなければ色眼鏡で見られる現代にあって、自分のしたいようにも生きていない。そんなことにも差ほどの違和感を感じていない不感症社会です。

「在る」がまままを否定され、「ただ在る」ことが反発で跳ね返ってくる世知辛い時代だと、否定的に捉えながらも上手くバランスを取り俯瞰した見方が出来れば、それも楽だと感じることさえあります。

でも、動じなくなることは同時につまらなさを伴います。楽とつまらない(=詰まらない)は、時の流し方を心得ているのですが、このことすら 言葉の言い回しでしかありません。

この意味を説明すればするほど、人はその意味や上手い言い回しばかりを捉え、字面ばかり追うようになります。

常々、言葉は連絡が出来ればそれで十分、そして、短くてもイメージを伴う会話であれば上出来だと感じています。
どんなに話し手が言葉を尽くしても、受け取り手の固定観念のフィルターを一度通す必要があります。

話し手や表現者は、受け手のフィルターで主張やイメージを歪められたりすることによって、剥き出しの反論や言動で身を切られることもありますが、人は更に丁寧に丁寧を尽くして表現し続けるのです。

そうやって、人は自分の痛みを跳ね返すのではく、一度、受け止めて優しさに変容させる力があります。

ですから、感じることを止めないで下さい。

感じることが時に辛くても、生命の源に栄養を送っています、その栄養は熟成した時を経て、あなたの極上の優しさとなってくれるはずですから・・・。

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