越後一宮 彌彦神社 

新潟でのZERO・スピリチャルセミナー、御縁ある方との出会いに感謝申し上げます。

また、御縁ある土地、御縁ある方とご一緒に越後一宮「彌彦神社」へ詣でました。

彌彦神社は大正の御再建・御遷座から数えて今年が100年だそうで、まずは摂社・末社からと足を運んだところ、ちょうど毎年の祈年祭と初穂講春季大祭の神事に運良く立ち会うことが出来ました。

初穂講春季大祭とは、稲作を始め、農作物が豊かに実るよう毎年春に祈ります。

この神事に立ち会えたのですから、春を迎えた大地に「意宣り=祈り」の種を撒き、秋には「結実=実り」を刈り取る作業を今年一年を通じて成し遂げられる気がして、改めて神様を前に決心を宣言して参りました。

『恐れず怯まず・・・本意を伝える。』

前夜、とある場所で知人数名と久しぶりに逢い、無意識と思考癖の話になりました。

話は、3.11に遡り、防災センターで最期まで避難放送をしたある女性の話に・・・その女性は数カ月前に入籍、数か月後に披露宴を行うはずで3.11の災害に見舞われ逝かれた方でした。

残された御家族のお気持ちは如何ばかりか、メディアはこぞってその勇気を「美談」として紹介しました。

(※以降、大きな視点で、先入観をなくしてお読みになって下さい)

「おかげ様で私は助かりました。ありがとうございました。」

もし自分が当事者で、ふいに感謝の意を表されたらどんな気持ちになるか、ちょっと考えてみて下さい。
大勢の命を救ったこと。大勢の命は一人の命と引き換えだったら。また、その時自分はどうだったか。

人は人生の瞬間に打ちひしがれる事があるものです
ありがとう。が、酷なことに生と死の「明暗」を分けるように運を誇示させる言葉になる現実。
ありがとう。が、親の悲痛な心の叫びに蓋をさせてしまうかもしれない現実。
ありがとう。が、あの場所から避難してしまった人の罪意識を煽ることになってしまうかもしれない現実。

とっさの判断でしたことが、その話題になるたびにレッテルを貼り直され、過去の結果と今の評価が大きく乖離してしまい、未来の生き方を変えてしまう事があります。

そうして、現代人は目に観えないマインド(心)の奴隷になってしました。

でも、これからは「心のままに」という言葉の裏に潜むコントロールに気づく方が多くなってきます。

私達の魂は、針の穴ほどの光の本質を感じとり、見極め、その光を前に、只々、沈黙になる時があります。
その沈黙は、エゴ塗れの私達が真っさらなの魂と対峙する時に起きる態度で「命=光」への尊厳でもあり感性です。

「よかれ」はマインド定規。魂が転生するのは「生き切る」を基準にして欲しがっているからです。 喜怒哀楽をベースにした定規で比較すれば対極が表れますが、そのマインド定規を外せば「生」の意味がシンプルになり笑顔が溢れるでしょう。

マインド定規を作った自分が、あえて目を背けたくなる事柄に対峙する、それは、自己の闇と対峙する時でもあり、結論を出すのではなく、認めることにより意識の拡大をおこし、闇の対極にある光が増してくるのです。

そんなことを考え彌彦神社へ詣でながら、宇宙の全体調和を信頼して委ねて行こうと新たに意を決したワケです。

魂はワンネスという分かり合えるひとつの世界から、個別に、分からない・理解したい・知る喜びを味わいたいと願い、分け御霊となって個として生まれてきました。

その、分け御霊からの発動・波動が、現実の産みの親となり、気づきを喜びに変える体験を味わえるこの世を生み出したのです。 互いの違いが、知る喜びの醍醐味になるならば、私は誰かの為に、誰かは私の為に「在る(存在)」だけが「生きる使命」となりうるのです。

ですから「私の使命は何か」と頭で成し遂げることだけを問い続けてきた私達は、幼い頃から成し遂げる目標にゴールする為に、小賢しく自己価値、固定概念、一般的な意味づけを身に着け「自我」を育てて来ました。

そのマトリックスにあって、長年4次元(幽界)に溜めてきた心・精神・思考・マインドの思念が、5次元への道をブロックしてきたのです。(※くわしくはZERO・スピリチャルセミナーで)

「何でもアリ」の意識世界・スピリット世界は「無限の世界」ですが、個の信念もその肉体が滅ぶと、「有限の世界」で実を結ぶことのない念だけが4次元(幽界)に執着となって漂い、生きている人の感情と共鳴しチョッカイを出します、この世とあの世は、一体空間で住み分けてなどいないのです。

有限の世界=生=明在形=現実=建て前、無限の世界=死=暗在形=意識=本音であり、それらの成り立ちを知っている国が日本=二本です。現在、二つがどんどん混ざり合い隔たりを無くし始めており、現世を生きづらくさせていきます。

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本音を一日一日、無限の意識世界から生み出す「生」、建て前を一日一日、有限の現実世界で尽くす「死」。

あの世とこの世は切り離されることはなく表裏一体、イザナギ・イザナミのメオト世界、神話の世界は意識世界の話でもあるのです。

今回「彌彦神社」に詣でた越後の旅は感慨深い意味あるものになりました。

その想いを春のうららかな日に心静かに「意宣り=祈り」として捧げることができ、すべての一期一会に感謝が溢れました。 この御縁を更に秋の実り=実の理に換えられるよう、日々、光の柱を建て邁進していきたいと思った次第です。

 

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