神様はいない!?の件について

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現実LIFEナビゲーターのFUJIKO.です。

 

先日、私のお話を聞いていた方から
「守護霊や神様はいないのですか?」

と言う質問をいただきました
目に見えない世界を言葉にすると矛盾に突き当たる
そのことを承知で言葉にしてみたいと思います

今回は神様について、いざ。

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実際、こんな質問を受けると私の頭の中は騒々しくなります。

誤解を招くことはわかっているけれど
一刀両断に「いない」と言ってしまうのは・・・
人によっての「気づき力の差」を考えてしまうことにあります。

私達の現実LIFEには神様が当たり前に溶け込んでいます。
というより、神様という概念が溶け込んでいるといった方が
合っているかもしれません。

毎朝、神棚に手を合わせ神様が今日も見守っていてくれている
危険が迫った時には、助けてもらえる
そんなふうに親や宗教や道徳では教えられていますから
生活や精神性の一部になるのも当然です。

ですが、悪いことに出くわさないようにと
アンラッキーを頭のどこかに置いて計っていることに
気づいているか?いないか?

人は善と悪を瞬時に比較対象してしまって
その判断は本当に無意識ですが「瞬時」です。

成長過程で教えられた通り良いことのみを選択してきた
その習慣が「道しるべ」であり、
それは社会通念上「当たり前」とされてきました

ですので、どこかで悪の存在を消して無いことにように
・・・というより、無意識に在るのに無視して
落ち着き払っているような気がするのです

それ、無理やりっぽくないですか^^;

光が強くなれば、陰も濃く大きくなるものです

神の反対を仮に悪魔として
神様の存在を肯定しているなら
悪魔の存在も同時に認めなければなりません。

さて、この話から
「両方、存在する。」としたら、あなたはどうお感じますか^^

ちょっと心がザワつきませんか??

もしかすると、神様に好かれたいから
人は正しくあろうとしているのではないかもしれない

悪い悪魔にそそのかされて道を外さないようにという
怖さから正しさを求める習慣を身に着けたのかも
という気さえするワケです。

「躾」というのも、どちらかというと
恐怖と正しさを天秤にかけた
「なまはげ教育」 そんな感じさえするのです。

誤解して欲しくないのですが、
努力や神様を全力否定しているわけはありません。

努力はチカラになりますし、神様はいます。

でも、ココでいう神様とは、
一神教的なザ・神様のことではありません。

私がいう神様は「この空間すべて」のエネルギーのことです。

この世の概念の似たものとして森羅万象、
八百万の神チックに聞こえるかもしれませんが^^

人もこの空間すべてにいるエネルギーですから
人も神様のお仲間だと私は思っています。

分け隔てのないエネルギー。

経験上「神様、助けて!」と何度祈っても
思った通りとなることは限りなく少なかったはずです。

人も神なら自分でなんとか出来るということ^^
出来ないと思うのはこの世の既成概念によってのみ
起こりうる心理が大きく関わっていることの方が多いのです

結果も現象化してから違うと騒いでも、表れた以上
この三次元世界の理なので残念ながらルール上、結果は結果
不満は対処療法的な方法で処理するしかありません。

でも人は結果が良くなかったことを自他や神様のせいにしたり
奇跡はめったに起こらないから奇跡なのだと思ったりします。

そんなときこそ、
ニュートラルマインドにして気づきのチカラを使ってみて下さい。

その願いは「私の思った通り」を望んでいて
100%納得いく結果でなければ思い通りではない
個人の強いエゴが裏に隠れています。

強いエゴというのは、プライド、責任、コダワリ、評価・・・
などの社会で植え付けられた観念から生まれた欲のこと

この世に住まう人は常に価値を求め、
価値をつけ、それにふさわしい自分であろうと頑張りますし
それが及ばなければ、都合のいいようにケチをつけます。

そのほうが要は簡単で自分を省みなくて済むから^^;

 

でも、普通に嫌じゃないですか?

人智を超えた存在、それが神様であって欲しいなら
困ったときこそ、世の中の善悪的目安の度量で
自分を計って欲しくはないでしょう?

 

「神様」という名称に掛けられた魔法に気づいて欲しいのです。
(あ~宗教家さんから怒られそう。^^;でもひるむことなく)

神様=頼る+助けてもう。
でも、結果が伴わなかった=自分を戒める
この方程式が成り立っていればいるほど

都合のいいことに、救われる救われないで、
人にとっても神様が善悪の存在になりうるのです

ということは?

神様に対して、期待し、価値をつけ、思い通りにして欲しいと
願っているのは誰なのか?
そして神様はいるのか?いないのか?

 

「ニュートラルマインド+気づきの力」を使えば

もうお分かりいただけると思います。

 

私達「人」が「神様という存在」を創り出している。

 

神様を好きなようにアレンジして思い通りの姿にしたいのは人

神様はそういった概念とは別物ということです。

 

心の支えになることはあっても
御都合通りに救ってくれるものではありません。

 

その理を変えてしまったのが宗教的教えで
人体的肖像の神様がいると教えたことです。

死を生にまで変換する奇跡
というエッセンスが必要だったわけです

では私も神様なら現実LIFEを豊かにすることは出来るの?
と質問がきそうですが

現実を動かす要素はあなたというエネルギーの
閃きと言葉と行動の3つが神合った時です。

現象化する前に願い、それでも、
うまく事が回らなかったとすれば

そこには、成長過程からくる習慣化された
無意識がダイレクトに空間に放たれ
空間=ZERO. がそれを善悪なく受け止めた
と考えてみて下さい

あなたの最善の答えとは異なる結果が表れたら
無意識のブロックが掛かったか
最善の答えに気をとられ他の答えを受け取れない
ということです。

ココにあるのは流れに沿うエネルギーの秩序があるだけです。

神様が手を貸してくれるタイミングがあるとすれば
それは、3つの要素が一致した方向性を示した時です。

神様がエネルギーであると言い換えることが、
人によっては受け入れ難いことだったり
人によっては不都合な真実かもしれません

ですので、自分の信じたい神を置くことは自由です。

でも、神様には人間の価値が通じません。

現実LIFEで問題にしたことは あなた自身が
その問題を刈り取るギフトというオマケまで
与えてくれている事は理解できると思います。

絶対的な真実は、困った中にあっても
必ず糸口は用意されていて、そして
それは必ず解決可能であること。

それ自体が神様が壮大にプログラミングしているもので
そのプログラミングの一員である人がそれに目覚めて
善悪なくありのまま受容する力=意識の拡大ができたら
知ったうえで受け止められる喜びと安心が湧いて

この世はこの上なく住みやすくなるだろうと気づくと思います。

一言でいうのはちょっと難しかったのですが
人の神様と空間の神様がしていることについて

長文ではありますが、
ちょっとだけ私なりの見解をお伝えしてみました。

皆さんはどうお感じになりましたか^^?

 

 

次回は
でも、願った通りしか現実に表れないというのに
願った結果ではなかった。と嘆くのはナゼなのか
についてお話ししたいと思います。

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