7月7日七夕 陰陽統合

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今日は七夕。

童話的にいうなら彦星と織姫が1年に1度逢える日です。

歴史・神話でいうなら男神アマテラスの饒速日命(ニギハヤヒ)と 瀬織津姫(セオリツヒメ)を物語り

意識でいうなら男性性と女性性の陰陽統合ともいえる日。

すべてはひとつ。

この世界には男女という性(サガ)があり、地上に誕生すれば性の別=性別ができ、その分けられた定め=ルールはあれども、勇気ある魂は創造の源から

「さぁ、表現してみましょう!何をしたいですか?どんなことでも出来ますよ!」と送り出されました。

ですが何でも分かりたいがゆえに分けてしまったので、人間も性別(人・本能の定め・ルール)で分け、女性は男性のように突破する意識に欠け、男性は女性のように育む意識に欠けていると、差別に変えてしまいました

そうして私たちは長い間、欠けている部分が意識できるように地球のルールを採用して、長所を認め、短所を理解し、ひとつになることを楽しみましょう。

と送り出されるのですが、ほとんどは、その志し半ばで命を落とし、もう一度チャレンジするために何度も何度も輪廻転生を繰り返してきたのです。

けれど、切りがない。(別に好きなら、ずっとやっていてもいいんですが)

切りがないので、それらモロモロのものを一度リセットするために宇宙の巡りがやってきます、それがアセンションという約26000年周期で迎える、今。現在です。

 


 

最近、強く「還りなさい」「十分です」と感じるキーワードがあり、その感覚も一体となって、意識も身体も混沌としています。

そうした背景からか 先日、「自分と向き合う」ということが分からない。とおっしゃる方と出会いました。

考えてみるとスピリチャルでは既に慣用句となっている「自己と向き合う」というセリフ

言葉だけ捉えてしまうと

一体、何をどうすることなのか?(方法)
一体、向き合って何が得られるのか?(結果)

と考えてしまうのだと思います。
例えば「最近何をしても 感動しない。」という人がいたとします。

「感動」は出来事に伴う心の動き。内面の話です

感動がないとは、静か過ぎて⇒詰まらない⇒いたずらに流されているだけ と感じるかもしれません。

詰りがなければ出来事がスムーズに流れるものですが、現代は「つまらない」を負のイメージでとらえるトラップに気付いていません、詰りがない状態の先には何かが始まる兆しが待ち構えているのにです。

そう思えば、思考で動いている時を「詰っている状態」だと解釈することができないでしょうか?
何かしないと社会から皆から取り残されてしまう
働かなければ生きられない
勤勉は徳 退屈は毒だ
自分だけ何もない気がする。
と、そんな心の動きを感じ、急かされるように動いた経験を殆どの方がしたのではないでしょうか。

つまらない時は本来、自分の閃きを滋養する時、その時を充分に蓄えるために創られた現象なのかもしれません。

 


 

せっかちに動かず、まだかまだかとウズウズする時を充分に楽しんだなら、朗報は向こうからやってきます。

あとはそれに乗るだけで、本当はコトが回り始めるのです。

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これまで期が熟すのを待てず、社会の風潮を頭で考えて勇み足をしていたなら、何事もタイミングを外してしまっていたかもしれません

そのせいで、相手が間違っていると決めつけてしまっていたことも、単にあなたの固定観念のせいだったのかもしれませんし

幸せなんて続かないと考えてしまっていたことも、単に目の前にあることを有難いと認められなかっただけかもしれません

持っていた自信が無くなってしまったのは、心細くて勇気が持てなかっただけなのかもしれません・・・

 

心を探る勇気は、目の前の現実の扉を開くカギになります。

 

間違いを認めると、周りはあなたを認め仲間として受け入れ始めるかもしれません

挫折を乗り越える気合が、一生の仕事に気付くチャンスかもしれません

 

この世の存在すべては 死して、再生するのです。

 

目に見えないものは現実を造る大地のようなもの、出てくるカタチある芽は現実で実を結ぶのを待っています

生きとし生けるもの達の成長と存在が唯一の真実になります。

「自分に向き合う」ことは、出来事や自分の体験を感情のままジャッジして一喜一憂する、経験を垂れ流しする事ではありません。

閉じた目は内面に向かって深く観て、開いた目は現実に向かって広く見て、その二つを繋ぐ気づきを受け入れ、この世界でどう生かすか、それが自分と向き合った結果、実を結ぶ現実になると思うのです。

私たち人は魂は、陰と陽、正誤、優劣、成功失敗、男女、左右、上下、深い浅い、高い低い、広い狭い、好き嫌い・・・数多ある二極に分かれた意識とその価値を、疑い、見直し、気づき、許し、受け入れていく時を迎えています。

 
私も、ある意識の死期を迎えている気がしています
そして、見えない時を滋養して、再生するような時がくるのをウスウスと感じています。

 

 

 

 

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