陰の気もまた必要な力なり 「天邪鬼」

毘沙門天毎瞬、本能に常に耳を傾けて生きたいものです。

雑多な日常を無意識に過ごすとあっという間に情報の波にのまれ沖合にまで流されてしまいます。

したいことが出来ている歓びを感じていればヒステリックにも生活不感症にもならずにすみますし、満たされていないことに慣れてしまうとそれが日常で、それが私になってしまうものです。

時には陰の力を借りて「天邪鬼(あまのぢゃく)」になってみるといいかもしれません。意外に天邪鬼の目線もドキッとさせられるものです。

例えば、体型を気にして食べたいものを我慢するのは、モデル体型でない遺伝体型を恥じているから、スーパーの野菜よりオーガニック野菜を選ぶのは、その方が体に安全でそうでないと心配だから、一人でいることより大勢でいることを選ぶのは、孤独を知るのが怖いからという弱点も観えてきます。

そして、気づくのです。それらは絶対ではないこと、そのコダワリは強いインパクトを残した出来事による選択肢のひとつにしか過ぎないことだったと。

本能を無視して、人は目先の心配や不安を排除しようとすることに奔走していますが多くの方の根底に観えるのは「こんな生活から抜け出したい」という深い不満が発動してのことの様です。

不満は欲求を満たさない事で起こり、また、欲求は子供じみていているので理性で大人を演じさせる為、ココロはバランスを崩すのです。 ですから、毎瞬 「本能に耳を傾ける」 本能の行きたい先と道筋がわかっていれば、途中のやっかいなことには対処するだけ、とシンプルになり「悩み」はほぼ無くなります。

そして、その「やっかい」な悩みとは得てして「~した方が良い」という、世間基準の動機づけからくるお悩みだということに気づくと、貴方のココロは今までにない安心感に包まれるでしょう。
貴方の不満を解消する答えは「安心」なのです、条件づけで得た安心では本当の安心は得られません。

 

※天邪鬼・わざと人に逆らう言動をする人 。つむじまがり。ひねくれ者の意
ちなみに、毘沙門天の足元のいるのが天邪鬼です。

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